- 演出:今井朋彦
- 作:ソーントン・ワイルダー
- 訳:森本薫
- 音楽:松本泰幸
- 美術:深沢襟
- 照明:樋口正幸、武石進衛
- 衣裳:竹田徹
- 出演:石井萠水、いとうめぐみ、大内智美、大高浩一、奥野晃士、木内琴子、貴島豪、すがぽん、武石守正、舘野百代、保可南、野口俊丞、本多麻紀、牧山祐大、三島景太、吉植荘一郎、吉見亮
- 上演時間:2時間半(休憩15分)
- 劇場:東静岡 静岡芸術劇場
- 評価:☆☆☆☆★
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静岡までの無料バスに乗ってSPACの『わが町』を観た。
『わが町』はこの前の四月に文学座の公演を娘と一緒に観た。文学座研修所で必ず演じられる演目とのこと。SPACの公演の演出は文学座所属の今井朋彦。SPACとの組み合わせはちょっと意外な感じもする。
演出プランは文学座の公演と大枠は変わりはない。いずれも原作の台詞と、含まれる指示を丁寧にくみ取った舞台だった。知り合いの役者が出演していたことも大きいとは思うが、役者と登場人物の個性はSPAC版のほうが際だっていたように思えた。
静岡芸術劇場の奥行きと高さがある舞台空間の広さが効果的に利用されていた。素舞台は黒色。登場人物たちは生成りの白い衣服を身につけている。音楽は登場人物が舞台上で歌う賛美歌。それにサックスの独奏が時折寂しげに響く。きわめてシンプルな舞台だ。
芝居の情景はグローヴァーズ・コーナーズという架空の町の過去の日常を再現したお芝居であることが進行役によって繰り返し強調されるが、回想によって提示される芝居の場面はあたかも亡霊たちによって演じられる美しく儚い幻影のように感じられた。私は第三幕での展開を既に知っている。第一幕、二幕で演じられるグローヴァーズ・コーナーズの平穏で幸せな日常が終わってしまうことを。最初の二幕の情景が穏やかで微笑ましい幸福感に満ちているだけに余計悲しく思える。開幕時には舞台上には、天井から照明をつるす装置がぶらさがっていたり、脚立があったりして雑然とした雰囲気だった。それはそのままあの幸せな過去の町の賑わいを表象している。第二幕、第三幕と進むにつれ舞台上のオブジェは徐々に片付けられる。第三幕は死者たちの座る椅子だけが舞台右側に墓標のように並ぶだけ。そのがらんとした空虚で暗い空間で再現される取り戻せない過去の時間のいとおしさ、美しさに胸が締め付けられる。平凡な生にある美しさを強調するために、最後に死を対比させる残酷さ、泣かせどころでしっかりと泣かされてしまった。
グローヴァーズ・コーナーズは舞台の虚構の中にだけ存在するユートピアなのだろう。実際にその姿をとらえようとすると真夏の逃げ水のように消えてしまい絶対に手にすることの出来ない郷愁の町だ。
ところでチラシとともに配られた『劇場文化』という小冊子に内野儀氏の文章はこうした舞台の感傷、感動に水を差す嫌みな内容だった。だが『わが町』という戯曲を味わう上で非常に興味深い内容でもあった。これについてはまた改めて。『ユリイカ』誌2010年9月号でも柴幸男の「わが星」岸田賞受賞にからめ「わが町」について内野氏は言及している。(「10年代の上演系芸術 ヨーロッパの 「田舎」 をやめることについて」内野儀)。忘れないようにメモ書き。