- 脚本・演出:三浦大輔
- 美術:田中敏恵
- 照明:伊藤孝(ART CORE)
- 出演:米村亮太朗、篠原友希子、古澤裕介、松浦裕也、高木珠里、松澤匠、新田めぐみ
- 劇場:下北沢 ザ・スズナリ
- 上演時間:2時間半
- 評価:☆☆☆☆
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黒幕が上がると、目の前にはごくありふれたリビング・ルーム。適度に古びている。生活感までをしっかりと伝える舞台美術のリアリティによって、いきなり舞台の世界に引き込まれた。このハイパーリアルなセットは単にリアルなだけではない。舞台美術として秀逸な仕掛けが施されていることが後で判明し、また驚かされた。こういった着想は本当に天才的だと思う。
ポツドール三年半ぶりの新作上演、しかも大きな劇場ではなくザ・スズナリでの公演ということで、大いに期待していた。
期待は裏切られることはなかった。細部まで神経の行き届いた極めてクオリティの高い精緻な舞台だったと思う。
韓流ドラマをみながらふやけた平日の午後を過ごしていた主婦が、子供の死を電話で突然知らされる、というオープニングは秀逸だった。以後、2時間半にわたってこの主婦が味わう地獄が描き出される。この地獄への導き手として、主婦を誘惑する悪魔的人物を物語の核として取り入れる着想が素晴らしい。この役柄は看板俳優である米丸亮太朗が演じた。
前半の展開には戦慄した。周到な作劇上の仕掛けが施された、ハードボイルド的な硬質な描写が続く。暴力と性と欲望をこの冷徹さを最後まで維持したまま、徹底して掘り下げていくのかと思い、ドキドキした。
しかし後半になると結局はどこかで見たような風景に落ち着いてしまった感じがした。芝居として失速してしまったわけではない。舞台作品としての密度は維持されている。しかもその密度は驚異的なものだ。しかし描かれる世界はどす黒く、露悪的ではあるけれど、極めてよくできたウェルメイド・プレイという趣に流れていった。つまりいつか見たポツドールの定番的世界である。脚本、演出の高い技巧性ゆえに、生々しいリアルが若干後退して待った感じがした。よくできていることに感心しつつも、人工的な嘘くささ、白々しさも漂う。私は物足りない。ポツドールの芝居にウェルメイドを感じるのは、徹底したリアルな表現の追求がされている一方で、案外に説明的な台詞、作劇上の仕掛けが多いからだと思う。これは三浦が敢えてやっているのだと思うけれど、こうした親切さが作品を平板にしている面はあると思う。
「人間って所詮こんなもんだろ」と言った感じの投げ出した感じ、ニヒリズムに、結局のところ物語が集約されてしまっているような気がした。こういった斜からものごとを見るかのようなシニカルな人間観というのは確かに一面の真実を付いているし、特に若くて鬱屈を抱えている人間にはかっこよく感じられるものでもあるような気がする。 私自身、いろんな鬱屈を抱えている人間なので、ポツドールの芝居で提示される殺伐とした人間観には共感を覚えるところはある。しかし私はそうした人間の見方に「そう、こんなもんに過ぎない」と一端首肯しつつも、「でも…」とさらに反駁したい気持ちがある。「でも…」の後に続くのは必ずしも人間存在の肯定ではない。娯楽性の付与は作品作りの上で、三浦大輔が自分に課しているところかもしれない。しかし欲望の闇を突き進むもうとする人間が、バイブレーターを持ち出したり、覚醒剤をやったりするというのは、あまりにもお約束じみているような気が私にはして、ちょっと白けてしまうのだ。
人間の憎悪、欲望というのはもっと手に負えない、おぞましいものであって欲しい。例えばミヒャエル・ハネケが映画のなかで描き出す光景と同じレベル、あるいはそれ以上に無慈悲で身も蓋もない人間の姿を、演劇というより生々しい形態で突きつけられてみたいという願望が私にはある。今年海外ツアー公演が行われているポツドールの超傑作『夢の城』では、そうした風景を垣間見ることができたような気がした。あの作品はやはり別格に素晴らしい。岸田賞を受賞した『愛の渦』の初演もよかった。
演出や脚本の技術的完成度は今作も極めて高い。しかし重箱にきっちりつめられた料理のような見栄えの良さが物足りない。完成度の高さではなく、破綻しかねようなエネルギーを持つ作品を見てみたい。