http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2012/duplicate-of-2.html
三宅坂 国立劇場小劇場
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合邦が盲目の乞食となった俊徳丸と出会う「万代池の段」と玉手御前が自害する最後の場面「合邦庵室の段」。『摂州合邦辻』を文楽で見るのはこれが二回目か三回目。歌舞伎でもやはり二三回見ている。
義母と義子の不倫の恋という主題が東西のどちらでも演劇の伝統のなかに組み込まれていることが興味深い。 この主題は、西洋では古代ギリシア悲劇のエウリピデス『ヒッポリトス』にはいじまり、その後、セネカの『パエドラ』、そして17世紀フランス古典主義、ラシーヌの傑作『フェードル』、さらには現代イギリスのサラ・ケイン『フェイドラの恋』まで連綿と引き継がれた。 日本では管専助と若竹笛躬による人形浄瑠璃『摂州合邦辻』の成立以前に、説教節『しんとく丸』、謡曲の『弱法師』、そして謡曲をもとにした三島由紀夫の『弱法師』が知られている。義子を愛する継母というモチーフはインドの佛教説話を源として東西で繋がっているという話をどこかで読んだことがあるような気がするが、実際のところどうなのだろう。『合邦辻』で俊徳丸の恋人役の若い娘、浅香姫に対応する役柄もヨーロッパ系物語にもある。
文楽『摂州合邦辻』、後半の段で眠くなるところは少しあったけれど、全体としては楽しんでみることができた。玉手御前の愛が、玉手が後妻として嫁いだ高安家のため、俊徳丸のためを思ってのお芝居だったというエピソードが『摂州合邦辻』のクライマックスとはされているけれど、いかにもとってつけた不自然な結末に思える。俊徳丸への背徳の愛を露わにする玉手御前の狂乱ぶりこそ、この作品の核だと私は思う。玉手のあの最後の告白では、俊徳丸への激しい愛情表現を説明できていない。登場人物はみな納得しているようだが。
語りと台詞を自由に行き来し、ことばによって人形を動かす文楽の演劇言語のありかたがとても面白い。語り手と演じ手のあいだに生じる支配/被支配のやりとりの緊張感がいい。演劇形式として非常によくできていると文楽を見るたびに思う。