閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

から騒ぎ

  • 作:W・シェイクスピア
  • 翻訳・脚本・演出:河合祥一郎
  • 音楽:後藤浩明
  • 舞台監督:井関景太(るうと工房)
  • 照明:富山貴之
  • 演出助手:岸本佳子
  • 衣装:河合沙和子
  • 振付:森下庸之、森川由樹、北澤小枝子
  • ヘアメイク:鬼塚とよ子
  • 出演:荘田由紀、髙橋洋介、小田豊、西山竜一、山﨑薫、野口俊丞、Chou Yonho、三原玄也;下田詩織(ヴァイオリン)、井上仁美(パーカッション)
  • 会場:東京大学駒場キャンパス 21 Komcee MM ホール
  • 評価:☆☆☆☆★

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 翻訳と演出を担当した河合祥一郎先生は、日本のシェイクスピア研究の第一人者だ。私は河合先生の本でいろいろ学んでいる。研究者、翻訳者としてだけでなく、演劇の実演のほうでもこれまで河合先生は積極的に関わっていて、蜷川幸雄野村萬斎など数多くの演出家と仕事をしている。その河合先生が今度は演出を担当するということで、この『から騒ぎ』についてはおおいに期待していた。俳優も文学座の荘田由紀のほか、新国立劇場研修所の卒業生を中心にキャストを固め、少なくとも新劇的表現はしっかりこなすことができる俳優を揃えている。しかも値段は1500円だ。河合先生が、興行的な問題などに煩わされることなく、思い存分、自身の知識や経験、演劇美学を詰め込んだ舞台になるような気がした。

 ちらしには「ピーター・ブルックやグロトフスキーの実験性にも通じる、新しい実験的公演を『出来事』として共有してください」となかなか挑発的な文句がある。これまで私が読んだ河合先生のシェイクスピアに関する文章から、おそらく舞台は美術をほとんど用いない素舞台になるだろうとは予想していた。そして観客席と舞台の境界をはっきりと区切らない祝祭型の舞台になるだろうことも。つまり16世紀後半のイギリスの舞台とつながるような舞台空間を提示するだろうと思ったのだ。そして言葉によって世界を作り出す「聞く演劇」の要素が強調されるだろうと。実際の舞台はほぼ予想通りだった。 

 観客席に四方が囲まれた中央部分が中心となる演技場となる。演技場には美術が一切ない。会場は劇場ではなく、天井の高い吹き抜けの通路のような空間だ。照明も最小限に抑えられている。音楽はパーカッションとバイオリニストによる生演奏で、二人の奏者は客席のなかで演奏を行う。俳優たちはホールの出入り口から出入りする他、観客席で待機していたり、あるいは「立ち聞き」の場面では観客の後ろに隠れたりする。俳優の傍白は、ときにはっきりと特定の観客に向けて語られたりする。 殺風景で無個性なホール空間が、俳優たちの存在と立ち振る舞いによって、虚構と現実の二つが渾然一体となった異空間に変容していた。

 上演時間は2時間20分だが、これをノンストップ、休憩なしで上演した。おそらく原作からのカットは最小限に押さえられているはずだ。台詞はかなり早口で話される。やたらとだじゃれが多い台詞翻訳だなと思ったら、なんとシェイクスピア原文にあるライム(脚韻)をすべて訳出してあるとのこと! 俳優はみな新劇系の訓練を受けている人なので、早口の台詞も明瞭で、音楽的に響かせることができる。四方が観客席なので、台詞をはっきり観客に届けるのは、やはりそうした訓練をした人でないと難しいと思う。台詞回しはリアリズムではなく、いわゆる新劇的翻訳調ではあったが、この『から騒ぎ』公演では、翻訳の工夫と発声のよさゆえに、シェイクスピアの台詞の修辞的な面白さも楽しむことができた。いわゆる「芝居くさい台詞回し」が持つ力の強さを感じることができる公演でもあった。

 俳優の存在感と劇作上の仕掛けを浮き上がらせる優れた演出だった。俳優の身体が観客にさらされ、俳優が言葉を響かせることで、演劇空間が成立し、観客はコントロールされてしまう。劇作上の仕掛けもわかりやすく提示されており、演劇的な嘘を効果的に使った数々の工夫にあらためて感心した。

 俳優はみな達者だった。荘田由紀の派手な顔つきはやはり舞台映えする。表情の豊かさや動きの表現も印象に残る。主人公のひとり、ベネディック役の高橋洋介は私は知らない役者だったけれど、饒舌体をしっかりコントロールして、愛嬌のある人物像を作りだしていた。他の新国立劇場出身の若い俳優たちは美男美女揃い。

 こうしたスタイルの公演は、出口典雄のシェイクスピア・シアターの発想と近いところがある。しかしキャストが充実している分、今回の河合演出のほうが印象は強い。このスタイルの公演を重ねていくと、さらに手法として洗練されていくはずだ。次は二年後という話だが、できれば毎年一回ぐらい、河合先生演出、プロデュースのシェイクスピア公演を見てみたい気がする。

 今日は子供の観客が何人かいた。最前列ソファに座っていた3名の小学生の男の子がいたのだが、この三人が退屈してコソコソ喋ったり、チラシを丸めてガサガサ音を立てたりして、それがかなり響いた。こうした芝居を妨害するふるまいがある度に、入口近くの客席の後ろの列に座っていた河合先生が、身をかがめてそーっと彼らの後ろにたち、耳元で注意していた。三回ぐらいこうした場面があったように思う。その様子がおかしかった。 無粋な工事騒音や上階廊下の足音などが響くこともあったが、それも河合先生が外に注意に出ていたようだった。
 劇場をあえて使わないという選択をし、舞台-客席が混じり合うような空間での演劇をやっているのだから、こうしたことも当然想定内だとは思う。 もし次回、河合シェイクスピアがあったとしたら、小学生を排除しないで欲しい。退屈していた時間はあったけれど、子供は子供なりに舞台を楽しんでいる様子を、彼らと向き合った座席にいた私からは伺うことができたからだ。子供が我慢でできなくなるたびに、コソコソと注意しにいく河合先生の姿を見てみたいし。