閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

2022/08/08『アプローズ、アプローズ!囚人たちの大舞台』@新宿ピカデリー

アプローズ、アプローズ!囚人たちの大舞台 | UN TRIOMPH | reallylikefilms

 1985年にスウェーデンで実際にあったできごとに基づく映画作品。舞台はフランスに移し替えられている。家族関係のうえでも、演劇人としても成功しているとはいえない中年の俳優・演出家が刑務所に演劇の指導にやってくる。演劇活動は囚人たちにとっての息抜きであり、矯正プログラムでもある。彼の指導のもと最初に刑務所内で上演されたのは、ラ・フォンテーヌの『寓話』だった。この上演の体験をきっかけに囚人たちも演劇の喜びと可能性を知る。囚人たちにとても演出家にとっても、演劇は閉塞的な状況から自分たちを解放してくれるものだった。

 演出家は囚人たちに『ゴドーを待ちながら』を刑務所の外にある劇場で上演させようとした。苦労のすえ実現した最初の劇場公演は大成功を収め、囚人たちの一座による『ゴドー』はフランス国内のいくつもの劇場から招聘を受けるようになった。そしてフランスの現代演劇の舞台の殿堂ともいえるパリのオデオン座での上演の日がやってきた。

 ヨーロッパの国々では、この映画のモデルとなったスウェーデンでの事件が起こった1980年代にはすでに、ある種の社会矯正プログラムとして囚人たちによる演劇活動が行われていたようだ。私は2018年のアヴィニョン演劇祭で、オリヴィエ・ピィとエンゾ・ヴェルデが共同で演出した囚人たちによる演劇『アンティゴネ』を見た。ただ私はこの上演が囚人たちによるものだとは知らずにこの公演を見たのだった。上演時間が50分と刈り込まれているし、出演俳優はむくつけき男ばかりだし(女性役も男性囚人が演じていた)、俳優は始終大声でがなり立てるような調子で台詞を言う荒々しい舞台で、舞台公演の出来としては特に優れたものであるとは思わなかった。フェスティバル・ディレクターのピィの演出作品だけに、余計期待外れの感があった。しかし上演後は尋常ではない大喝采で、観客はスタンディング・オベーション、俳優たちもやたら興奮して咆哮している。いったいこれはどうしたことか?と思って、後で調べてみると、それが囚人演劇であることがわかったのだ。なるほど、あの俳優たちが収監中の囚人たちだとわかって見れば、私もその成果に大きな感動を覚え、熱烈な拍手を送っていたかもしれない。

 劇場での初演の大成功をクライマックスに敢えて持ってこない脚本の作りは巧い。また演劇に内在する教育力というか、俳優として他者を引き受け、それを観客という他者と共有する過程がもたらす魔力は、しっかりと描かれていた。初演の段階を結末にしておけば、この物語は感動的で陳腐な美談になってしまっていただろう。それが崩れていく過程を描いた後半部があるのがいい。

 後半は初演の成功後の彼らの姿が描かれる。もともとは一回だけの劇場公演のはずだった。それが思いも寄らぬ評判を得て、囚人たちによる『ゴドー』はフランス国内をツアーすることになる。ただ一回だけの公演を目標に高められた集中力、緊張感、チームワークは、その後の公演では維持することは極めて困難だ。彼らは職業的な俳優ではないのだから。公演のたびに人々に賞賛される喜びを味わいつつも、この一座が崩壊に向かっていくことは宿命だったのだ。

 苦いラストではあり、すっきりしたハッピーエンドではなかったが、それでも私にはきれいにまとめすぎているような気が私にはした。娯楽作品としての落とし所は必要ではあるのだけれど、人間というのはそうそう思い通りになるものではない。もとになったスウェーデンでも初演前に囚人俳優は逃げ出してしまったという。私が演出家の立場なら、そこで他者と信頼関係を築き、コントロールできるようになっていたと思っていた自分の傲慢と愚かさを深く恥じただろう。私は教員として学生たちにものを教える人間だが、学生たちとうまく関係を築けている、お互いに相互理解ができているはずだといい気になっていると、実は全然そんなことはなくて、足をすくわれるような思いをすることはしょっちゅうある。

 前半部で囚人たちが『ゴドーを待ちながら』を、演出家の思惑通り、自分たちの物語として受け入れ、咀嚼し、表現としていくというのも、都合のいいファンタジーではないかという気がしてしまう。そういったことは絶対にないとは言えないが、奇跡のようなものではないか。こう考えると私がアヴィニョン演劇祭で見たオリヴィエ・ピィとエンゾ・ヴェルデ演出の囚人演劇『アンティゴネ』は、あのクオリティまで持って行き、アヴィニョンでの上演にこぎつけたという点で、まさに奇跡的な舞台であったのかもしれない。