閑人手帖

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《魂の響き 旋律の鼓動 〜十五夜に寄せて〜》@近江楽堂(2019/09/13)

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観客と対面するのではなく、観客が三人の奏者を取り囲む形で客席が設置されていた。三人の奏者は楽堂の中央に互いに向き合って演奏する。観客に向かって演奏するというよりは、砂漠を移動する隊商の楽師たちが夜にテントの中で音楽を演奏するのを聞いているようだった。歌い手の場所には赤い絨毯が敷かれ、歌っていない時には歌手はそこに膝を崩して座り、他の奏者の演奏に耳を傾けている。パーカッション奏者のエリアにも刺繍の入ったベージュの絨毯が敷かれた。

暗めの照明の加減がよかった。ドーム状になっている近江楽堂の天井に吊るされた照明が演者たちを照らす光は月光を連想させる明るさだった。

ソプラノ歌手の高橋美千子の全身を使ったダイナミックな表現力に引き込まれる。照明の効果と絨毯の色彩とともに、音楽は耳だけでなく、目でも「聞く」ものであることを、彼女のパフォーマンスは伝えている。歌唱とリンクした顔、体、表情などの身体表現は、優れた舞踊的で演劇的な表現にもなっている。

歌手にはこうした演劇的素養は求められるものだし、最近のオペラの演出では俳優並みの劇的表現力が歌手に要求されることも珍しくはないが、実際のところ、卓越した歌唱と演劇的表現を両立させるのは非常に難しい。ナタリー・デセーのように突出した演劇性を持つ歌手もいるのではあるが。

今回のプログラムでは対訳歌詞は配布されなかったので、高橋が歌っている内容は理解できなかったのだが、彼女の劇的な表現は彼女が歌っている言葉と音楽から自然に導き出されたようなものに見えた。彼女のパフォーマンスから連想して思い浮かべたのはジャック・ブレルである。

西欧の歌唱芸術ではパーカッションはあまり出番がない。ソプラノとリュートなどの撥弦楽器という組み合わせならごく普通の組み合わせだが、そこにパーカッションが加わっているのがこの編成の特徴だ。

コンサートの選曲も独創的だ。

ルネサンスバロック期の歌曲、パーカッション即興演奏、リュート、ギター独奏、アイルランド民謡、そしてクルド民謡、スペイン・ロマの歌、さらにグレゴリオ聖歌まで。

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このトリオの演奏ではこの雑多なプログラムの各曲が見事に融和し、統一感のある世界を作り出していた。

非西欧音楽的要素であるパーカッションが、撥弦楽器とヴォーカルと結びつき、効果的に導入されることで(グレゴリオ聖歌もパーカッションとともに演奏された)、地域、時代、ジャンルを超えて共有される音楽の核が演奏から浮かび上がってくるようだった。このトリオでは絶妙なパーカッションの介入が音楽の普遍性を引き出しているのだ。アイルランド民謡もダウランドの歌曲もグレゴリオ聖歌も、パーカッションが入理、この多様なプログラムの中で共存させられることで、全く違った雰囲気の音楽となった。

音楽の悦びの原点が凝縮されたような、小編成ではあるがダイナミックで充実したコンサートだった。

 

 

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(ソプラノ)

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リュートバロックギター、テオルボ)

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(パーカッション)