閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

「自分の音楽の嗜好に影響を与えたアルバム10枚を選んで1日1枚紹介するチャレンジ」まとめ

第一日目
デラー・コンソート《パリ・ノートル・ダム楽派の音楽とランス大聖堂の音楽》(1961)

 

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ルフレッド・デラー(1912-1979)は古楽演奏のパイオニアのひとり。この録音は1961年のようです。大学一年のとき、はじめて聞いたギヨーム・ド・マショーがこのアルバムでした。管楽器の伴奏なども入ったおどろおどろしい《キリエ》に衝撃を受けた。「なんだ、これは!」という感じでした。

これを聞いたのがきっかけで古い音楽に関心を持って、リコーダー・アンサンブルのサークルに入り、ギヨーム・ド・マショーの叙情詩で卒論を書くことになったわけです。

これを書きながらひさびさに聞き返しています。

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第二日目
メレディス・モンク《Turtle Dreams》(1983)

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ヴォカリーズ(母音唱法)によるアヴァンギャルド音楽、といってもその音楽は親しみやすく、案外聞きやすい音楽です。オルガンで短いワルツの同じ旋律が延々と繰り返されるうえで、ヴォカリーズの様々なバリエーションが展開していきます。

大学に入学した頃にはまりました。六本木、池袋のWAVEで推していたように思います。自分の音楽体験でWAVEの存在は大きいものでした。80年代末から90年代はじめに東京にやってきた若者でこういう人は少なくないと思います。WAVEってスカしていて、「東京」の都会の文化って感じでした。西武が元気あった時代です。当時、関西には西武はありませんでした(つかしんはありましたが)。

来日公演にも行きました。どこでやったのか忘れてしまいましたが。黒い服を着て、下向いている不気味な人たちが集まっていたのをなんとなく覚えています。

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第三日目
チョン・ミョンフン指揮、オペラ・バスティーユ管弦楽団メシアン:トゥランガリーラ交響曲》(1991)

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この録音がされた年に、私はパリに留学していてオペラ・バスティーユでこの名曲を聞きました。メシアンは存命中で私が座っていた座席の数列前の席に座っていました。終演後、指揮者のミョンフンに促されてメシアンが立ち上がり、観客に向かってゆらゆらと手を振った様子が思い浮かびます。《メシアン:トゥランガリーラ交響曲》を通しで聞いたのはこのコンサートが初めてでした。すごい音楽を聴いてしまったなあと、終演後うちのめされ、呆然としていたことを覚えています。
このとき私は学部の4年で、パリに語学留学していたのでした。学生の身分でパリにいるときに得られる恩恵のひとつは、超一流のアーティストたちのコンサート、オペラ、演劇、美術などを学生料金(しばしば無料で)で浴びるほど見ることができるということです。当時、オペラ・バスティーユ管弦楽団の主任指揮者だったチョン・ミョンフンのコンサートには足繁く通いました。
2002-2003年にパリに留学していたときには、ミョンフンはフランス放送フィルハーモニー管弦楽団の主任指揮者でした。私が住んでいた19区のアパートから歩いて10分ほどのところにCité de la musiqueがあり、ここのホールで度々フランス放送フィルハーモニーのコンサートが行われていました。
この年度のシーズンはミョンフンが振ったコンサートでパリとパリ近郊で行われているものはすべて通ったと思います。そのなかでもシテ・ド・ラ・ミュージックでのフランス放送フィルハーモニー管弦楽団によるチョン・ミョンフン指揮《シェヘラザード》のコンサートでの感動の大きさはしっかりと身体に刻み込まれています。ダイナミックな表現のなかでわきあがる濃厚な官能性に陶酔し、体中がじんじんしびれて、終演後しばらく立ち上がれませんでした。
パリに留学していたとき、チョン・ミョンフンの音楽にどれほど元気をもらったかわかりません。

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第四日目
デイヴィッド・マンロウ《グリーンスリーヴズ》(1976)

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大学時代はリコーダー・アンサンブルのサークルに入り、目白のギラルラの安井敬さんの教室に通っていました。早稲田大学リコーダー・アンサンブルは1970年代には山岡重治さんや大竹尚之さんといったプロ奏者を輩出したサークルですが、私がやっていた80年代末から90年代初めはサークルのメンバーは5、6人の弱小サークルでした。部室もなく、練習場所は平日夜に大学の空き教室を求めて彷徨していました。

マンロウのこのアルバムは当時は手に入らなくて、リコアン(という略称だった)の先輩にカセットテープにダビングしたものを貰って、それを繰り返し繰り返し聞いていました。
リコーダーの演奏技術という点ではマンロウは旧世代の演奏家で、その後のブリュッヘンの表現力にははるかに及びません。でも私はマンロウの素朴でポコポコした笛の音色が大好でした。個々の楽器そのものの特性や個性に優しく寄り添う演奏のように思えます。

デイヴィッド・マンロウ《グリーンスリーヴズ》(1976)にはルネサンスバロック期のリコーダー音楽だけでなく、ヴォーン=ウィリアムズ、ウォーロックなどの近現代のイギリスの作曲家たちの作品も含まれています。本当に名曲ばかりです。

2016年に発売されたCD版に入っている、井上亨氏によるマンロウへの愛に満ちた周到な内容の解説も読み応えがあります。読めばマンロウの音楽をさらに深く楽しめるようになるでしょう。

《ゴシック期の音楽》、《宮廷の愛》のシリーズ、《中世ルネサンスの楽器》などマンロウのアルバムは、私にとって最良の音楽史の教科書でした。大学学部時代、リコアンのコンサートなどの選曲も中世フランス文学・音楽の勉強も、マンロウの足跡をひたすら追っかけていたような気がします。

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第五日目

ジェネシス《フォックストロット》(1972)

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高校時代はプログレにはまっていました。といっても私はプログレのなかでもメジャーなバンドしか知らないのですが。マニアックなファンがいくらでもいるジャンルです。
プログレ・バンドのなかではピーター・ガブリエル在籍時のジェネシスが一番好きで、アルバムでは4枚目の『フォックストロット』(1972)が一番好きです。

プログレ屈指の名盤であるこのアルバムについては、ネット上の至るところで熱くて濃いレビューが掲載されています。
名曲ばかりですが、アルバムの最後に収録されている23分の大曲、《サパーズ・レディ》は圧巻。いまでも度々聞きます。思わず笑ってしまうくらいグロテスクでポップでドラマチックです。

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第六日目

イョラン・セルシェル《J.S. バッハ:リュート組曲集》(1984

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中学・高校とクラシック・ギターを習っていました。結局、あまり上達しなかったのでした。
大学のときにはクラシック・ギターの合奏サークルにも一時期在籍していました。サークルの雰囲気が「体育会」系っぽい雰囲気だったのと、独奏楽器であるギターで合奏してギター用に作曲された曲ではない曲ばかり演奏するのに違和感があって、1年ぐらいでやめてしまいました。

楽器のなかではギターの音色が一番好きかもしれません。クラシック・ギターのCDもずいぶん持っていましたが、私が一番好きな奏者はスウェーデン人のイョラン・セルシェルで、なかでも11弦ギターによるバッハのリュート組曲2枚組は愛聴していて今でもときどき聞きます。

バッハのリュート組曲のアルバムは多くの奏者が録音を残しているが、セルシェルの演奏は軽やかで優雅だ。その甘美な音色は実に繊細にコントロールされていて、表現されるニュアンスが豊かで味わい深い。ベタベタした暑苦しさがない。

別のアルバムに収録されている無伴奏バイオリンのためのパルティータに含まれる《シャコンヌ》の11弦ギターによる演奏は、その軽やかさゆえにちょっと物足りなさを感じるのだけれど、この2枚組のリュート組曲全集はセルシェルのバランスのよさと洗練がリュート音楽の高貴な遊戯性にはまっているように思えます

セルシェルのアルバムでは、19世紀古典主義のギター作曲家、フェルディナンド・ソルの作品集もすばらしいものです。ソルの曲はギターという楽器のポテンシャルを十全に引き出す名曲であることが、セルシェルの演奏からわかります。このソルのアルバムもいまもなお愛聴しています。

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第七日目

ザ・タリス・スコラーズ《トマス・タリス:スペム・イン・アリウム》(1985)

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トマス・タリス(1505頃-1585)は、テューダー朝の時代のイングランドを代表する作曲家のひとりです。彼の作品のなかでももっとも知られているのは、「40声部のモテット」こと《スペム・イン・アリウム》Spem in aliumでしょう。この曲の録音は数多いですが、私がはじめて聞いたのは(そして衝撃を受けたのは)1985年に発売されたザ・タリス・スコラーズのこのアルバムでした。
40声部の合唱曲は、各5声部からなる8群からなっていて、常に40声部が響いているわけではありません。じわじわと移動する蟻の大群のように声部が重ねられ、途中何箇所かで40声部すべてが歌われます。全声部が重ねられたときの音のうねりがしびれるような陶酔感をもたらします。合唱音楽の最高峰と言える傑作といっていいでしょう。

曲の長さは演奏団体によって異なるがおおむね10分前後になっています。歌詞はラテン語で、旧約聖書外典のユディット書から取られた数行の短い文句です。

Spem in alium nunquam habui praeter in te, Deus Israel, qui irasceris et propitius eris, et omnia peccata hominum in tribulatione dimittis.
Domine Deus, creator coeli et terrae respice humilitatem nostram.

私はあなた以外に決して望みを持つことはなかった
イスラエルの神よ
あなたは怒りと慈愛の人となり、
苦悩する人間をあらゆる罪から解き放つだろう
主なる神よ、天地の創造者よ
我らのつつましき願いに御配慮を

チューダー朝時代、16世紀のイングランドは優れた作曲家の宝庫です。ウィリアム・バード、ホルボーン、トマス・モーリー、ジョン・ダウランド、ジョン・ボルドゥイン、タヴァナー。そしてイギリス国教会創始者であるヘンリー八世も美しい器楽曲を残しています。
器楽合奏曲の楽譜も数多く出版され、大学時代にやっていたリコーダー・アンサンブルではこの時代のイギリスの作品をよく演奏していました。

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第九日目

ゲイリー・ムーア《コリドーズ・オブ・パワー》(1982)

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中学から高校時代は、アイルランドのギタリスト、ゲイリー・ムーアが大好きでした。当時は毎週土曜深夜に小林克也の『ベストヒットUSA』というテレビ番組をやっていて、それはそれは驚くべき熱心さでこの番組を見ていたものです。ゲイリー・ムーアもこの番組でフィーチャーされていたのが知ったきっかけだと思います。


ゲイリー・ムーアのアルバムで最初に聞いたのが1982年に発売されたこのアルバム《コリドーズ・オブ・パワー 》でした。このアルバムは日本でのゲイリー・ムーア・ブームのきっかけとなりました。久々に聞いていますが、ずーんとした重さがあって、エモーショナルな名曲揃いです。

一度好きになったらとことん掘りつくすほうなので、この後、1970年代前半のゲイリー・ムーアの最初のバンドのアルバム、その後のプログレフュージョンっぽいコロシアムII、ゲイリーが参加したシン・リジィのアルバムなど、ゲイリー・ムーアが関わったあらゆるアルバムは探して購入しました。

アルバムとして好きなのは、シン・リジィ『ブラック・ローズ』、70年代終わりに発売されたソロアルバム『Back on the street』です。70年代中期に発売されたハードなプログレ/ブルース風のThe Gary Moore Band『Grinding Stone』も好きなアルバムです。

いろんな音楽を聴いているうちに、高校2年ぐらいから音楽の嗜好が変わってしまい、ゲイリー・ムーアから遠ざかってしまいました。でもこのあと私がアイルランドに興味を持ち、アイリッシュ・トラッドを聞いたりするようになったのは、ゲイリー・ムーアがいたからだと思います。

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第九日目

ジャーニー《エスケイプ》(1981)

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今、自分が好んで聞く音楽ではないけれど、「自分の音楽の嗜好に影響を与えたアルバム」となると、ジャーニーの《エスケイプ》はやはり挙げなくてならないでしょう。アルバムの発売は1981年で私が中学生の頃です。


たぶん当時毎週食いつくように見ていた『ベストヒットUSA』で知ったのだと思います。ジャーニーなどのこの時代のアメリカン・ハードロックは、ポップでわかりやすい音楽ゆえに《産業ロック》と揶揄されたりもしますが、今、聞き返してみると曲調の通俗性、安っぽさはあるけれど、キャッチーな旋律は心に残るし、アレンジや演奏も含め完成度が高いです。やはりいいアルバムだし、ジャーニーはいいバンドだと思いました。スティーブ・ペリーの高音域、伸びやかな歌声は実に心地よいし、ニール・ショーンのギターもかっこいいですね。

中学の頃に小林克也の《ベストヒットUSA》にはまった私はこれ以後長いあいだ、ポピュラー音楽といえば英米のロックでした。ジャーニーの音楽は、中学生の私にとっては、未知で広大な世界への扉のようなものだったと思います。

このあと、プログレを聞き出したのも、ジャーニーの《エスケイプ》以前のアルバムが、プログレっぽいものだったことから関心を持つようになったのだったということを思い出しました。《エスケイプ》が大ヒットする以前の70年代後半のジャーニーの渋い音楽も悪くないです。

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第十日目

ヒリヤード・アンサブル《ジョスカン・デプレ:モテットとシャンソン集》(1983年)

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今、自分が好んで聞く音楽ではなく、「自分の音楽の嗜好に影響を与えた」となるとやはり若いときに聞いた音楽になってしまいます。


10枚目は、ヒリアード・アンサンブルのアルバム、《ジョスカン・デプレ:モテットとシャンソン集》です。アルバムのリリースは1983年ですが、私がこのアルバムを初めて聴いたのは大学2年のときなので、1989年か90年のことです。早稲田の仏文の小林茂先生が授業でこのアルバムを紹介し、アルバム一曲目に収録されている《アヴェ・マリア》を教室で聞いて、「なんて美しい音楽なのだろう!」と衝撃を受けたことを覚えています。それで授業後にそのまま高田馬場の駅前にあったCDショップムトウに行ってこのCDを早速購入したように思います。


今、久々にこのアルバムを聞き返していますが、、本当に珠玉の名曲揃いです。そしてその演奏のなんと繊細なことでしょうか。私の古楽は、一日目に紹介したデラーの《ノートルダムミサ曲》に始まり、そのあとにマンロウにはまっていったのだけれど、ヒリヤード・アンサンブルの音楽の美しさで古楽演奏の別の可能性も知ったのでした。ヒリアード・アンサブルの数々のCDも大学時代の私にとって重要な音楽の教科書となりました。