閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

平原演劇祭2020第6部 #50年芋煮演劇 2020/10/18 @埼玉県宮代町「新しい村」芝生広場

この十月はいくつか仕事の締切りが重なっていて、平原演劇祭第6部は事前に告知をちゃんと読む時間がなかった。日程だけはGoogleカレンダーにかなり前に記入して、とにかくこの日は平原演劇祭のために空けておくようにはしていた。

 

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ツイッター上での断片的情報で、久々に会場は宮代町、そして芋煮をやるというのは記憶にあって、調理をするのだからずっと前に鰤の会をやった宮代町進修館の調理室で今回はやるのだと思い込んでいた。野外劇で場所は進修館ではない、懐中電灯が必要ということに気づいたのは当日の朝だった。お椀と箸の持参が推奨されていることも当日の朝に告知を確認して気づいた。調理から参加する場合は正午集合、芝居の開始は14時からということだったが、どうせ参加するなら調理からのほうが楽しいに決まっている。公演会場の「新しい村」は東武動物公園の道を挟んで向かい側にある公園だ。

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この公園にある沼で5、6年前に平原演劇祭は水没演劇をやっている。沼の上にいかだのようなものを浮かべて、そのいかだの上で芝居を上演するというものだった。池のなかにもジャブジャブ入っていったので当然役者たちは水浸しになる。この場所での夏の水上演劇は2、3年やっていたのだが、クレームが入ったとかでここ数年はこの新しい村での上演は行われていなかった。
今日、その池のそばを通ると、昼間は水深の浅いその池で釣りを楽しんでいる人がたくさんいた。平原演劇祭の水没演劇は夜に行われたが、よくこんなところであんな芝居をやっていたもんだとあらためて思う。
今回の会場は水上ではなくて、その奥にある小中学校の校庭ほどの広さの芝生広場だった。かつてはこの公園は公営だったようだが、現在は株式会社による管理/運営になっている。芝生広場ではバーベキューやキャンプが可能なようで、先ほどページを確認すると一区画25平米を一日2000円(営利の場合)で借りることができるらしい。今回は公園のため、全五区画を借り切ったようだ。それでも会場費は一万円で、破格に安い。株式会社運営だが、とても商売になっているとは思えない。

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芋煮調理の部開始時間の正午に会場に着くと、俳優陣は芝生広場の端の木陰で稽古をしていた。これまでの平原演劇祭ではみかけない大学生の7−8人のグループがいる。どこからやってきた、誰が声をかけて集めたのか私は知らない。彼らは芋煮部隊として呼ばれたらしい。しかしこのあとわかったことだが、芋煮会の経験者は調理に部に集まった人間のなかには一人もいなかった。通常は平原演劇祭で出る飯に関しては、調理師資格も持っている主宰の高野竜が担当するのだけど、今回の芋煮についてはお金だけ出して、材料購入から調理までは芋煮隊に丸投げになっていた。竜さんからの調理のやり方についての指示は太いゴボウが売っているので、それは入れたほうがいいだろう、ということだけだった。出汁についてはゴボウから出るはず。しかしそれだけでは心許ない。出汁入り醤油で味付けすることになった。

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芋煮の材料は新しい村の敷地内にある販売所ですべてそろえることになっていた。ここは野菜はいろんな種類置いているのだけれど、肉類は調理済みのもつ煮しか置いていない。芋煮の芋といえば里芋だろうと私は思っていたのだけど、「ジャガイモでしょ」といういう人もいて。結局里芋、ジャガイモ、サツマイモなど売っていた芋はすべてかった。あとはきのこ、大根など目につく野菜で鍋で煮込めそうなものを適当に購入する。肉がまったくないのはさびしい気もしたので唐揚げのパックも購入。15人ぐらいで分かれて籠にどんどん入れていったのだが、値段は一万円以内におさまった。野菜の下ごしらえは大学生の若者たちに任せる。手動ポンプ式の井戸から噴出する水ではしゃいだりしながら、彼らは楽しげに野菜を洗ったり、切ったりしていた。

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開演予定は14時となっていたので、芋煮をみんなで食べてから開演なのかなと思っていたらそうではなかった。数十人前分の芋煮が作れそうな大きさの寸胴鍋のなかに水と材料を入れて、新しい村公園の管理事務所から借りてきたバーベーキュー用ロースターでそれを沸かしはじめたのだが、火力が弱くてなかなか湧く気配がない。とりあえず芋煮鍋を火にかけたまま、開演ということになった。おなかがすいた私は公園の売店でホットドッグを買って食べた。

芋煮鍋とがっちりした大きさのロースターは公演会場の芝生広場の中央にどんと置かれていた。芝居空間の中央に芋煮の鍋。こうしたユーモラスで意外性のある仕掛けで非日常的な景観をつくってしまうセンスは、さすが平原演劇祭という感じがする。演技は芋煮なべの周囲の広大な芝生の上で行われ、観客は外側からそれを見守る。小中学校の運動場ほどの広さがある芝生広場を貸し切ってそこで芋煮と演劇が行われる。平原演劇祭と関係なく新しい村にやってきた人たちには「いったいなにをやっているんだ」という具合に不思議そうにこちらを見ているがいる。
観客としてやってきた私たちもいったいこれからここでどんな芝居が行われるのだろうとわくわくする。

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最初に主催の竜さんからの開演の挨拶があった。今回の平原演劇祭2002第6部は、 「#50年芋煮演劇」というタイトルがついていた。芋煮はわかるけれど、50年はなんのことだと思っていたのだが、高野竜の演劇生活50周年とのこと。彼は54歳なので、4歳のときに母親がやっていた劇団に入って演劇生活開始ということらしい。10年前の平原演劇祭では40周年の会をやって、そこではいろいろな芝居に出たとのことだが、今回は体力が落ちてしまったのでちょこっとだけ出るとのこと。過去の日記を調べてみると私が平原演劇祭に初めて行ったのは震災後の2011年9月だった。だから40周年のときはぎりぎりまだ平原演劇祭を見ていなかったことになる。しかし最初に見たのがたった9年前だったとは!平原演劇祭での演劇体験はあまりに濃厚で、見始めてから私は一気にのめり込んだので、もっと以前から見ていたような気がしていた。この9年間、平原演劇祭は嵐にもまれる船のように変転しつつづけ、演劇の本質を問いかけるような愉快で独創的な演劇的実験を続けてきた。周縁から演劇という制度にゆさぶりをかけるようなラディカルな前衛的演劇運動でありながら、牧歌的でユーモラスで混沌としている。

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平原演劇祭ではいつものことながら、俳優と戯曲を風景のなかに配置することで、日常をダイナミックに歪ませ、祝祭的で幻想的な異世界が出現しまうということ自体に、注意を奪われてしまう。要は戯曲のことばの内容は観劇中はぼんやりとして理解できず、ああ、俳優がなんか面白いことやっているなあ、という感じを主に楽しんでいることが多い。高野竜の戯曲は文学性の高い美しく、読み応えがあるものなのだけれど、平原演劇祭の上演環境のなかで音だけでその意味を味わうには難解なところがある。今回は3時間睡眠でちょっともうろうとしていたので、いつも以上に芝居のなかみについてはもうろうとした印象しか残っていない。

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最初は高野竜と名古屋の優しい劇団の尾崎優人氏による唐十郎秘密の花園』だった(と思う)。野田秀樹も入っていたようだ。尾崎優人は白塗り顔の着物姿だ。尾崎これに引き続いてひとりで、「白浪五人男」、「勧進帳」を見事な声で朗唱した。その芝居っぷりは本格的なものだった。私は尾崎優人についてはまったく知らなかったのだけれど、名古屋から来て、アングラっぽくて、歌舞伎をやっているとなるともしかして、と思ってググってみると、ロック歌舞伎スーパー一座の原智彦に師事していた。尾崎のひとり歌舞伎はだいたい30分ぐらい続いたか。のどかな野外の芝生広場で白塗り役者の声が響き渡る。これに引き続いてというか、むりやりおっかぶさるようなかんじで、昨年から平原演劇祭で暴れ回る、のあとアンジーという二人の若い女優のユニット「のあんじー」による「イレフダ」と、平原演劇祭のベテラン女優の角智恵子と青木祥子による「クラノスケルス」が、からみあうような感じで交互に上演された。「のあんじー」は国定忠治もののをやっているのだが、衣装はロングドレスだ。一方、角と青木はどうやら忠臣蔵ものをやっていることがその台詞から断片的にうかがうことができる。

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帰宅してから気づいたのだったが「イレフダ」は「入れ札」で青空文庫にも収録されている菊池寛の短編小説だった。そして「クラノスケルス」は、山本周五郎の短編小説「内蔵允留守」だ。現地では私はこのカタカナタイトルの意味がわからなくて「クラノスケルス」は「クラノ・スケルス」って恐竜の名前かなにか?とか思っていたのだった。「イレフダ」もカタカナなのでなんかSFっぽいタイトルだなと思っていた。というか「ガム」にしろ、「イレフダ/クラノスケルス」にせよ、芋煮会のあとの「フレスコ太陽」にせよ、実際に上演されたものとそれらの文字列の結びつきがイメージできなくて、各演目を上演するユニット名みたいなものなのか、ぐらいに思っていた。

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広い野外空間でポツンと二組の役者たちが時代劇らしきものが演じられていることはわかった。あとの手がかりは国定忠治と内蔵助という固有名詞。のあんじーのあんじーは《スターウォーズ》のレイア姫のドレスを着ていて、一部スターウォーズの場面も挿入されていたりするし、二つの別の話がシームレスに混じり合うし、こちらは寝不足で頭がぼーっとしているしということで、なにがなんやらよくわからない。ただ状況と風景の自由なコラージュが面白い。俳優がやっていることも面白い。「イレフダ」ののあんじーはツィッターで前夜まで「台詞がはいっていない」「新しい演出をいきなりおもいついた。ウイスキーの空瓶を誰か持ってきて欲しい」とつぶやいていた。レイラ姫の衣装だけでもインパクトはあったのだが、それだけでは物足りなかったらしい。高野竜を芝生広場の外で斬り殺し、そしてウイスキーなどの瓶に入った様々な色の絵の具で着色した水を純白のドレスにぶっかけるという演出は、さっと空間をカターナイフで切り裂くようないんぱくとがあった。そしてのあとのダンス、坂井さん伴奏での山口百恵《愛の嵐》を歌う。ヤクザ芝居的とは関わりのない要素を暴力的にぶつけながら、それらの突飛なしかけはしっかりと原作のストーリーの内容に応えるものになっている。その劇的効果がいかほどのものか不安を抱えながらも、大胆な確信犯でギミックをぶつけるあんじーのふてぶてしさは20歳前後の若い女性のものとは思えない。そしてその仕掛けにまっすぐうけとめ、きっちりに表現しようとすることがおかしなずれになっているのあ。二人が生きる世界とふたりのけなげな生き様のずれよう、彼女たちと世界との格闘が、彼女たちの荒削りな表現の魅力になっている。

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空間と状況の特異性、そして反時代劇的な自分たちの属性を計算に入れた演出の効果で、若い女優二人の旅股ものは説得力のある劇世界を提示していたように思った。角と青木の「クラノスケルス」は、二人の男装着物姿はビジュアル的に決まっていて、のあんじーと対照になっているのがよかった。特に角の武士姿はりりしく、実に武士っぽい。《スターウォーズ》のテーマの替え歌で、畑を耕す場面は可笑しかった。

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時間が押し、芋煮会が始まったのは午後3時半すぎだったか。芝居をやっているあいだに、芋煮もゆっくりとぐつぐつ煮え立った。芝生広場の中央に置かれたこの鍋の存在感は大きかった。鍋が芝居の中心にあって、芝居を制御しているかのようだ。そしてこの鍋の存在で風景が重層的で複雑なニュアンスを帯びるようになっている。
平原演劇祭では食べ物が出されることが多く、この食べ物を食べること(そして今日のようにつくること)も演劇的営為の一部となっている。しかし通常は調理人でもある高野竜が食べ物を取り仕切るのだが、今回は観客に調理もほぼ丸投げだ。そして芋煮会演劇と称しながら、芋煮を実際に体験した人はひとりもいないようだ。芋煮に欠かせないように思える肉も入っていない。味付けは出汁入り醤油だけ。
これはさすがにおいしいとは言えないんじゃないかなと思って、食べてみると、出汁入り醤油と野菜のうまみだけでこれがおもいのほかおいしいのだ。夕暮れに近づき、気温も下がってきたので芋煮のあたたかさがちょうどいい。野菜類を煮込んで、醤油で味付けするだけで、こんなにおいしいものになるとは。七味があればもっとよかったかもしれない。観客出演者で40名ほどいたと思うが、芋煮鍋は空になった。

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芋煮を食べ終わるともう夕暮れだ。17時までに芋煮に使ったバーベーキューのロースターを返却しなくてはならないと言うので、芋煮会のあとはさっさと片付ける。平原演劇祭2020第6部後半となる「フラスコ太陽」は、17時半ごろから芝生広場の横にある雑木林のなかで上演が始まった。出演者は女子高生を演じる女優三名と先生役の男性俳優が一名。女優三名は、雑木林の境界の三点で主に演技をし、その三人を結ぶ線の内側の結界のような場所で芝居を見る。「フラスコ太陽」は20年ほど前に高野竜が書いた戯曲で、上演の機会がないままずっと眠っていたそうだ。高校の腹話術部の話が外枠だが、その内側でイスラムオマル・ハイヤームの作る暦のはなしが腹話術人形によって演じられたりする。中世のイスラム世界と現代の女子高生の世界が入り組んだやりかたで出たり入ったりする複雑な構造の作品で、話の内容を追うことができない。女優三人が7-8メートル離れた位置で話していたりするのでなおさらだ。上演後、30分もするとあたりは真っ暗になった。照明がないので、観客が手にもつ懐中電灯のあかりが照明代わりとなる。暗闇の中で懐中電灯に照らされる三人の女優の語り。夜の雑木林は幻想的な夢のような空間になった。

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女子高生3名を演じたのは、ひなた、栗栖のあ、山内雨という幻想の女子高生を演じるにふさわしいはかなさを持つ美少女俳優だ。雑木林で80分ほど演じた後、観客はひなたに先導されて暗い夜道を600メートルほど歩く。最後の場は新しき村に隣接する宮代町立笠原小学校の校舎の裏だった。校舎へと伸びる幅3メートルほどの橋のうえで、のあと山内雨の二人の芝居で「フラスコ太陽」は幕を閉じる。終演は予定通り午後7時だった。

 

今回は高野竜50周年記念公演なのだが、にもかかわらず高野竜の存在が前面に出ない公演になっていなかったのがよかったという感想がツィッターにいくつかあった。確かに。
でも高野竜の演劇人としての足跡、存在はしっかりと感じ取ることができる記念公演になっていた。

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https://togetter.com/li/1611115 togetterのまとめ「平原演劇祭2020第6部 #50年芋煮演劇」

https://note.com/heigenfes/n/n7177ce68c3da 平原演劇祭公式のnoteで告知

平原演劇祭2020第6部 #50年芋煮演劇
10/18(日)12:00または14:00集合
@埼玉県宮代町「新しい村」芝生広場
1000円+投げ銭(芋煮つき観劇料)
出演:ひなた
   栗栖のあ
   山内雨
   ほうじょう
   アンジー
   青木祥子
   角智恵子
   高野竜
演目およびタイムテーブル(時間は概算):
 12:00 芋煮隊集合、買出し、調理
 14:00 ガム
 14:30 イレフダ/クラノスケルス
 15:30 芋煮会、休憩
 17:00 フラスコ太陽
 19:00 終演