2019年7月11日(日)19時開演
@多摩市某池(京王・小田急多摩センター駅からパルテノン多摩方面に徒歩10分、閉鎖中のため大階段を左右から迂回した裏側)雨天決行
出演:千賀利緒(優しい劇団)、夏水、山城秀之、もえ、ほか
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身体的な負荷が高い過酷な環境で上演されることが多い平原演劇祭だが、今回の公演は「パステル」なものだという情報がtwitter上で流れていた。「パステル」というのは、よくわからないが、過酷ではない、やさしい、穏やかな上演ということだろう。現在、全面的な改修工事で閉鎖中のパルテノン多摩の階段を上ったところにある人工池でのゲリラ的公演だった。人工池の水深は15センチほどで、ここでは私は森山開次とFUKAIPRODUCE羽衣、ままごとなどの公演を見たことがある。
野外劇舞台としてのこの浅い池の視覚的な効果は抜群だ。今回の平原演劇祭も当然、俳優たちが池のなかで芝居をする水没演劇となった。
問題は天候で、公演時は天気予報では確実に雨が降ることになっていた。そして天気予報はあたった。しとしと降る小雨ではなく、夏の夕方の雷雨だ。この日は東京近辺の広い地域が激しい雷雨に襲われた。
18時開演となっていったが、17時前に京王多摩センター駅に着き、マクドナルドで食事を取りながら、スマホでオリックス×ソフトバンク戦を見ていた。オリックスは中継ぎのヒギンスが8回に打ち込まれるという気分の悪い負け方をした。17時半ごろにマクドナルドを出ると、かなり激しく雨が降っている。折りたたみ傘ではびしょ濡れになってしまうことが確実なので、雨合羽を着た。
水のなかの芝居というのはかなり体力を消耗するようだが、それに雨が加わるとなおさらだろう。池に着いた頃には雨脚は大分弱まっていたが、ゴロゴロと雷鳴が聞こえ、不穏なかんじだった。結局、多摩センター駅の向こう側は晴れ間が見えたが、今回の上演作品「イオの月」の舞台となった池周辺は、龍神でもいるのかのごとく、ずっと雨が降っていた。幸い豪雨ではなくなっていたとはいえ、観客としても傘をさし、雨合羽を着て、立ちっぱなしの野外劇は、かなりきついものだった。全然「パステル」ではない。
ほぼ予定通りの時間、18時に開演した。この悪天候とあいまいな告知にもかかわらず、観客は20名ほどいた。
最初に作・演出の高野竜の口上があったあと、この一年ほど、平原演劇祭の常連男性俳優となっている西岡サヤのモノローグからはじまった。
平原演劇祭での西岡サヤは、爆裂肉体派俳優だ。twitter上での登録名である「ハマチのサヤ」ごとく、釣り上げられたばかりのハマチのようにピチピチと跳ね回り、暴れ回る。
『イオの月』の概要については、平原演劇祭のnoteの告知文にあるテクストをそのまま引用することにしよう。
地中海の分断国家キプロスを舞台に、ギリシア神話のイオ(ゼウスに見初められたことでヘラの怒りを買い、仔牛に姿を変えられて小アジアに放逐され、流浪の旅を続けるうちに月の女神と見なされるようになった)とヘルメスの物語、探査機ボイジャーが送信してきた木星の衛星イオ、80年代にキプロスで起きたバイク集団による南北国境突破事件、同じくキプロスのオセロの物語などが渾然となったひとり芝居です。
19年前、2002年の第一回平原演劇祭で高校生によって演じられたそうだ。高野竜ならではの壮大なスケールの混沌とした話だ。
西岡サヤのひとり芝居のあと、池の奥の鳥居のようなところから登場し、池の中央をまっすぐ突き進んでやってきたのが、この作品の主役を演じる千賀利緒(優しい劇団)だ。
上演時間が1時間のこの作品の8割は、彼女が一人で話す。千賀利緒は今日の公演のために、名古屋からやってきた。池の空間を縦横無尽に動き回り、長大で詩的で混沌とした高野竜のテクストを語り下ろすパワーは圧倒的だった。
雨のなかの野外公演というわりには、あの空間ではけっこう声は響いた。しかしながら雨のなか、立ち通しの観劇は、私には体力的にきつくて、彼女の話す台詞の内容はほとんど頭に入ってこなかった。ただ池の空間をダイナミックに使ったスペクタクルの美しさだけを追っかけた。
上演が進むにつれ、北西側の空は雨が上がり明るくなっていったが、池のあたりはかなり弱まったもののずっと雨は降り続く狐雨状態での上演だった。しかし雨の上がった北西の空の夕陽が、すばらしい照明効果を池にもたらしていた。
最後は池の四方から悪者たち(?)があらわれ、千賀利緒を取り囲み、彼女を打ち倒してしまう、という結末だった(と思う)。酒井康志さんの太鼓が芝居を締めくくる。
美しいけれど、疲れた芝居だった。私の体力がなさすぎなのかもしれない。上演時間が1時間と短かったので助かった。
帰り道、多摩センター駅の向こう側の夕焼け雲がきれいだった。