閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

オリガ・モリソヴナの反語法

米原万里(集英社文庫,2005年)
オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)
評価:☆☆☆☆☆

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先々月,ガンで死んだロシア語通訳者米原万里の長編小説.単行本は2002年に出版され,ドゥ・マゴ賞を受賞している.著者の死にあたり,文庫本が再刷されたようで立ち寄った書店で平積みされていた.

1960年にプラハのソビエト学校で教えていたきわめて個性的で優秀な舞踊教師の前半生を,当時プラハに在住し,彼女の生徒であった日本人女性が,数十年の空白の後,追いかける.物語の中で徐々に明らかになる彼女の人生は,スターリン時代のソ連の現代史の闇と深い関わりを持っていた.
強制収容所の非人道性が物語の中で微細に描写され,静かに告発される.そして非人間的環境の中で人間としての矜恃を持ち続ける人々の悲しさと美しさも損文意描かれる.舞踊教師の強烈な「反語」的な痛罵の奥にある厳しい時代の試練が明らかになっていく展開はきわめて重厚.明らかになるのは悲劇的な物語であるが,「語り部」となる日本人女性のプラハ時代の美しい思い出,調査の過程で再会したり,出会ったロシア人との交流の暖かさによって,全体の色調は重苦しくはない.
語りの背景として添えられる現代モスクワの風景描写,日本のバレエ界へのきわめて辛辣な皮肉を含め,中身の詰まった骨太の大河小説である.フィクションとしてはこの一冊だけで世を去ってしまったのは実に惜しい.

週刊文春』に数週に一度連載されていた著者の書評の最後の2,3回は,ガンの「代替療法」を紹介した怪しげな本を,ガン再発した著者自身が実際に実験台となって徹底的に試してみるという文字通り身体を張ったものだった.常識から考えるといかにも怪しげな代替治療を,その治療法提唱者の病院まで通って試した上に,徹底的に疑問点を追求し,最後には結局追い返されてしまうというパターンが続く.あのクレバーな米原万里がどこまで本気で「代替治療」につきあっているのかちょっと読めないところがあった.変な治療を試している間に米原自身のガンはどんどん進行していくのだから,もしあの「体験」書評に著者のユーモアも含まれていたとしたら(ユーモラスな揶揄が実際に頻出する書評だった),なんと壮絶な「ギャグ」なのだろう!