閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

藤村のパリ

河盛好蔵(新潮文庫,2000年)
藤村のパリ (新潮文庫)
評価:☆☆☆☆

                                                  • -

単行本は1997年に発刊.単行本のもとになったのは1986年から1989年の三年間に断続的に『新潮』に断続的に掲載された文章である.著者は2000年に98歳の高齢で亡くなっている.
タイトルにあるとおり島崎藤村の1913-15にかけてのフランス滞在を追った伝記的「ルポルタージュ」.島崎が記した『エトランゼエ』『新生』『海へ』などの文章を軸に,島崎と同時期にパリに滞在し,島崎と交流があったフジタなどの文章および河盛自身が渡仏したときの調査結果などから,藤村のフランス滞在(第一次世界大戦のはじまった当初にリモージュに疎開したのをのぞきほとんどパリ)の足跡をたどる.
島崎は中年になってから,それも姪との性的関係の贖罪あるいは逃避の目的で渡仏した.現地では家庭教師についてほそぼそとフランス語を学んでいたようだ.フジタをはじめ,当時在仏していた日本人との交流もあったことはあったが,河盛が引用する文章から伺うに,他の在仏日本人と比べると年長ですでに「大家」の風格を漂わせつつも,いかにも不器用で鈍重な雰囲気の島崎には心うち解ける友人はそれほどいなかったように思える.為替の関係でフランスでの生活は余裕のあるものではなかった.言葉通じぬ異国で中年になってから放り出され,おどおどと生活する様子が彼の文章からはうかがえて,そういったところに共感を持つ.渡仏当初は語学力もなく,おそらく社交も乏しかっただろう,当時のパリで大きな話題になっていたはずの事件について藤村がほとんど言及していないという事実が,彼の孤独なパリ生活を痛々しくも示しているように思える.
メーテルリンクの舞台やオペラの舞台を観たときの彼の素朴な興奮と賞賛の反応はほほえましく,自分がパリで観たスペクタクルに感動したときの体験を重ねずにはおられない.