閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

なんとなく,リベラル

小谷野敦「なんとなく,リベラル」『文學界』第61巻-2号(2007年2月号),p.186-229.
評価:☆☆☆☆★

                                                                        • -

昨年の『文學界』八月号に発表された小説「悲望」http://d.hatena.ne.jp/camin/20061013/1160727707が私小説的色彩が濃かったのに対し,「なんとなく,リベラル」は私小説色は薄い.小説の舞台は人文系の大学社会である.語り手にバランス感覚のある若手の女性研究者を設定したために,語られている「現実」はよく読みこむとかなり陰湿なのだが(特に内部の雰囲気を知っているものにとっては),対象への適度な距離感のある乾いた感覚の記述になっている.題名はもちろん田中康夫の『なんとなく,クリスタル』のパロディである.『なんとなく,クリスタル』については,この小説に言及した文章はいくつも読んだことはあるのだけど,原作自体は私は未読である.小説にもかかわらず5ページにわたって45の注が後ろにつけられているのも,『なんクリ』を意識したものだろう.文学部のエキセントリックな世界を描いた筒井康隆の『文学部教授唯野教授』が思い浮かぶが,あの小説は象牙の塔を揶揄しつつも,その高等遊民性への憧憬をかき立てるような素朴な幻想が含まれていた(実は『唯野教授』に出てくるエキセントリックな教授たちの言動は現実のカリカチュアどころか,実際にはあれよりひどい先生をこれまで目にしてきているのだけど).
「なんとなく,リベラル」には文学部業界に対する作者の深い虚無主義が漂っている.この虚無主義はアカデミズム内の競争で脱落し,非常勤講師の掛け持ちでなんとか食いつないでいる人間たちの多くが共有しているものだ.作者の分身と思われる登場人物は,主人公の女性研究者の甘さとかたくなさに屈折した皮肉を浴びせることで,主人公の女性の「犯罪的」な無邪気さを露呈させる.この主人公の設定が秀逸なのだ.彼女は人間としてそして研究者としてはかなり誠実な人物である.その誠実さゆえに閉鎖的で小さなアカデミズム内での人間関係にありがちな陰湿さの犠牲となり苦しみ,休職を強いられるまでになる.しかし自身が私的生活でも同業者の伴侶を得,都内の有名私立大学に専任職を得たアカデミズム内の特権階級であることについてはかすかな後ろめたさを感じつつも彼女は気づかないふりをしている.自己の努力と才能によってだけで現在の地位を得たと信じ込み,あたかも自分だけは清流で汚れなき生活を送っているような言動を恥じることもなく繰り返す「善人」は大学には実際のところとても多い.
私はのめり込むように読んでしまった.息の詰まるような思いをしながら,小説の世界に引きずり込まれてしまった.文学部のアカデミズムの世界の殺伐とした雰囲気をこれほどリアルに描き出した小説を私は知らない.破格に刺激的で痛々しくてそして面白い小説だったのだ.しかしこの私が感じたおもしろさが果たしてどれほど普遍的なものであるかは私には判断できない.自身がアカデミズムの最周縁で惨めな思いをしながら生きているからこそ,面白いという感じた面が多いように思ったからだ.一般的にはこの地味な小説がどのように受け止められるのだろうか.