閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

コペンハーゲン Copenhagen

http://www.nntt.jac.go.jp/season/updata/10000120.html

  • 作:マイケル・フレイン Michael Frayn
  • 訳:平川大作
  • 演出:鵜山仁
  • 美術:島次郎
  • 照明:服部基
  • 衣裳:緒方規矩子
  • 出演:村井国夫,新井純,今井朋彦
  • 劇場:初台 新国立劇場小劇場
  • 時間:2時間55分(休憩15分含む)
  • 評価:☆☆☆☆★
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作品はトニー賞など様々な演劇賞を受賞している.新国立劇場では2001年に初演され,紀伊国屋演劇賞,読売演劇大賞を受賞している.
登場人物は三名のみ.ユダヤ系デンマーク人の物理学者ボーアとその夫人マルグレーテ,そしてボーアの弟子のドイツ人物理学者のハイゼンベルク.ボーア役のみ初演から変更があった.2001年の初演では江守徹がこの役を演じていたが,今回は村井国夫が演じている.演出の鵜山仁,および他の二名のキャストは初演時と同じ.

三時間弱の重厚長大な芝居.膨大な量の台詞が緻密に構成された戯曲の凄みに圧倒される.
舞台美術は抽象的なもの.中央に直径五メートルほどの板張り,円形のステージがあり,椅子が三脚並べられている..このステージはわずかに斜めに傾斜している.その外側に溝があり,さらにその外側に幅七〇センチほどの円環が中央円形ステージを取り囲んでいる.この外側の円環も傾斜しているが,その角度と向きは,内側の円形のステージとは異なっている.二重の円の舞台の後ろ側半分は,黒い背景の壁で囲われている.正面奥には切り込みがあり,時折後ろ側から斜めに照明が当たり,背景に陰を作る.
三人の俳優は上演中始終舞台に出ずっぱりである.場面転換はないが,多様な照明効果によって三人の心象が光と影で暗示される.音楽や効果音が流れるのはほんの短い時間だけである.
三人の登場人部は既に死んでしまっている.死者となった三人は,1941年9月,ナチス支配下にあったデンマークのボーア宅に,ハイゼルベルクが訪問するある一日の出来事を想起する.ハイゼルベルクはなぜわざわざかつての恩師ボーア宅をこの日訪れたのか? その理由はハイゼルベルク自身にもあやふやになっている.三人は互いにこの日の出来事を回想し,齟齬を慎重に調整しつつ,あの日の再開を三度にわたって再現する.
話題は錯綜し,拡散していく.久々の再会の挨拶,過去の共通の思い出,共通の友人の動向,原爆製造への関わりと科学者としての倫理観,祖国愛,人種観,抽象的な物理学理論,数学論,あらゆる次元のトピックが語られ,それぞれのトピックは別の次元のトピックのメタファーとして機能する.互いに絡み合い発展していく膨大な言葉のやりとりの末,彼らが本当に語りたかったことの核心は逆に曖昧としたものになっていく.そして深く絶望的な虚無の感覚にしびれるような感動を味わう.


終演後,NHKアナウンサーの堀尾正明司会によるアフタートークあり.司会者の軽妙なリードにより,一時間を超える楽しいアフタートークとなった.今回はたまたまアフタートークの内容をメモしていたので,その内容をまとめた上で以下に記しておく.観客席には女優の紺野美佐子の姿があった.
コペンハーゲン」アフタートーク
17時10分開始
出演:鵜山仁、村井国夫、新井純、今井朋彦
司会:堀尾正明(NHKアナウンサー)

最初に演出家の鵜山仁氏が舞台に登場。

最初に司会者から舞台美術についての質問が出る.
鵜山氏の当初の演出プランでは,ボーアの研究所内部を再現するような美術を想定していたとのこと.ところが美術担当者の持ってきた案は,教室を連想させる板張りの床ではあったものの、円形を組み合わせた抽象的な舞台装置だった.二つの床平面が斜めに,それも違う角度で傾斜している.

司会者は次ぎに多彩な照明効果について言及する.極めて難解な台詞劇で場面の転換もない芝居なので,照明効果によって視覚的な単調さに変化をつけた.実際に公演がはじまってから,演出家がはじめて気づいた照明効果もいくつかあったとのこと.

次ぎにこの難解な作品をとりあげた動機について司会が尋ねる..
抽象的なものに陥りがちが二人の研究者の対話に,三人目としてその妻が加わることによって,対話の質がダイナミックに変化していく様子が面白かった.台詞劇としては最小限のユニットにも関わらず扱われているテーマが人生論と世界論と物理学論との重層的なかかわり,重厚で広大であることにも興味を惹かれた,といった内容を鵜山氏は堪える.

司会がイギリスでこの難解な芝居が大成功した理由について尋ねる.鵜山氏の回答の要約は以下の通り:
コペンハーゲンの謎の一日にまつわる優れたサスペンス劇であり,これはヨーロッパがナチスの原爆の脅威から救われたという大きな歴史的トピックに関わる芝居であったことが,イギリスの観客の関心をひいたのだろう.しかし日本人の我々の立場から考えると,広島、長崎はこの一日よって救われなかった.ヨーロッパ的での作品受容とは当然異なる反応が日本では期待できる.

ここまで話したところで俳優三名が舞台に再登場する.以下,質問→回答というかたちで,そのアフタートークを再現する.

司会:コペンハーゲンの一日、いったい何があったのか, 村井さん,教えていただけますか?
村井国夫:うーん,考えたくない。膨大な台詞がとにかく大変だった。他の二人は再演だけど,僕は初演。台詞の量ではこれまで演じてきた役柄のなかでベスト5に入る.台詞の内容のわけのわからなさは第一位.それでこんな芝居になってしまいました(笑).
今井朋彦:僕は初演に引き続きけど,翻訳にはかなり修正が施されていた.稽古が始まった時点では全く台詞は忘れていたのだけど,徐々にと初演の時の筋肉記憶が蘇ってきた.新しい台本では修正されているのに,初演の時の台詞が出てきたりすることがあった.台詞の内容を理解しているか,ですって? 当たり前じゃないですか(笑).高校時代,物理はまったくダメだった.台詞の量としては,これまで自分が演じてきた役柄の中でもベスト1だと思う.
新井純:ボーアの妻,マルガレーテは触媒の役.二人の物理学者の専門的議論を,日常に引き戻す役割だと思う.物理学理解については観客のかたのレベルと同じぐらい.初演のときの台詞はすっかり忘れていたけれど,稽古の過程で筋肉記憶が復活した.
司会:鵜山さんの演出についてはいかがですか?
村井:こんなしつこい演出家はいない。毎日だめだしばっかり。ことばにいかに明確なイメージを与えるかについて徹底して言われる.引かない演出家.
新井:ソフトなイメージが曲者.口調は丁寧だけれど,頑固でぜったい譲らない.
今井:文学座の先輩でもある.知り合ってからは長いが,いまだに何を考えているのかわからない.稽古ではその日の流れを感知しながら,柔軟に演出を変化させる.昨日言ったことと今日いったことが違うことがある.
鵜山:俳優の体調の違いとかを考慮して,日によって言うことが違うことがある.舞台は生き物なので日々変わっていくのも仕方ない.

司会:私は初演と今回で,この芝居を二度観た.この二度目でようやく芝居の内容を理解できるようになった気がする.
村井:一度の観劇では,観客の半分は寝てしまう(笑).二度観ることを進めます.リズムを単調にしないに心がけている.
今井:僕は長台詞が多いので,舞台全面から客の様子を見る時間が多い.最前列のお客さんがよく眠っているような.
鵜山:難解で膨大な台詞の処理はやっかいだが,極めて優れたウェルメイド・プレイであることは確か.耳慣れない固有名詞が多いのが難関だけど,台詞の作り方は本当によくできていると思う.

ここから観客との質疑応答がはじまる.

観客A:初演に続き,二度目の観劇です.ボーア役が初演と再演では役者が異なり,この二人の役者(江守徹と村井国夫)の声の質が異なるのが興味深かった.演出上で役者の声の質というのをどのように考えているのか教えて欲しい.ヨーロッパの舞台では,この役柄はこういった声質といった約束事があるような気がするのだが.
鵜山:声は十人十色.僕の場合は出たこと勝負で,声のバランスやアンサンブルについては特に意識して演出プランを立てることはない.
村井:そうは言っても鵜山氏は,稽古のとき,僕に向かって「ねぇ,いい声だしちゃって」とか指摘します.
司会:(観客Aに)初演のときの江守徹氏の声は,村井氏にくらべ,高めでキンキンしてましたか?
質問:村井の声がより温かみがあるように思った.他のふたりの存在を包み込む感じ.江守氏の声はもっと鋭い響きでしたが,それはそれでよかったです.

観客B:初演に引き続き観ました.私は物理学の研究者です.初演を観たときは,こんな専門的な内容を話している芝居が一般の客に受け入れられているのがとても不思議だった.台詞は物理学的なこともふくめ,非常によくできています.科学者の逸話も物理学者なら知っているような逸話で,それが脚本に巧みに生かされているように思った.このように高度に専門的なトピックが語られる芝居ではあるけれど,今日,再演を観て,たとえ物理学についての知識がない観客でも楽しめる芝居であることを理解できた.しかしそれでも演じる俳優の方々は実際のところどの程度まで内容を理解しているのか聞いてみたい.
村井:台詞で言及される物理学者の逸話に関する文献は一通り読んだと思う.マンハッタン計画についてなど.理論的なことは当然よくわからないのだけど,登場人物がどうしてその台詞がしゃべられるのかが納得できるレベルまでは,入門書などを通して理解できるよう努力した.
今井:村井さんの話を聞いて,穴があったら入りたい気分だ.自分は天才物理学者のハイゼルベルクを演じたのだけど,物理学者のようにわかるのは絶対不可能である.内容については実はよくわからないのだけど,その台詞をしゃべるときの人物の感情、何を伝えたいのかなどは,台詞の関係性から推測した.しかしこれはどんな芝居でも同じこと.

観客C:私も物理学に関係するもので,初演も観ています.個人的にボーアとハイゼンベルクのファであります.彼らの抱えていた問題は当然,今の科学者にも関係する倫理の問題です.質問はマルガレーテは,ボーアとハイゼンベルクのどっちのほうにつっこみやすいか,ということです.
新井:マルガレーテは三人の中では,非専門家の素人の立場にあり,彼らの議論を日常的な世界に引き戻す役目です.どっちがつっこみやすいとかは何とも言えない.村井さんは冗談ばっかり言っている.今井さんはマイペースでリズムが独特です。

観客D:物理学が専門.不確定性原理については学生時代理解できないというか,半信半疑だったが,芝居を観てその神髄がわかったような感じ.初演,再演とも観たが,芝居を通して,物理の再発見をしたように思う.今は文系のひとに物理の基礎を教える仕事をしている.物理学理論なんて素人に説明できるのかなぁと思っていたけれど,芝居の中で説明のやり方にヒントをもらったように思う.