閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

2020/1/31 SPAC『ハムレット』

spac.or.jp

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2008年に初演された舞台。私は初演は見ていないが、2015年の再演を見ている。そのときはSPAC移籍後に宮城聡が手がけた新作のなかでは一番いい作品だと思った。タイトルロールの武石守正の鬼気迫る名演が印象に残っている。6年ぶりの再演ではある今回の公演では、ハムレット(武石守正)、クローディアス(貴島豪)、ガートルード(たきいみき)、オフィーリア(布施安寿香)という主要な役柄は初演と同じ。

音楽は棚川寛子だが、今公演では棚川寛子の音楽の使用は限定的なもので存在感は大きくない。音楽が鳴らない台詞だけの場面が多い。

終幕の突飛な演出は記憶に残っていたが、それ以外の部分では前回どんな演出だったかはほぼ忘れていた。

上演時間は2時間弱で、かなり原作を刈り込んでいるが、先週見た『病は気から』同様、どうも全体のリズムがすっきりしなくて、展開がもたついていたような印象があった。

主演の武石は動きも静止の際のポーズも美しく決まっていて、今回の舞台でも素晴らしかったし、初演に引き続き出演した主要な役柄の俳優の芝居も安定感があった。しかしアンサンブルとしては、どこかちぐはぐとしていて、見ていてもどかしさを感じた。ごく些細なディテイルの部分のズレなのだろうが、全体に溶け込めない俳優の演技が妙に気になってしまう。もっともこれは芝居を見る側の私の問題かもしれない。マスクをつけての観劇はどうも眠気が強くような感じがあって、今回は集中力を若干欠いた観劇となってしまった。

床に敷き詰められた巨大な白い正方形の布による美術(布の四方がつり上げられることで、場にいる人間たちの心理を象徴的に示す)や細長い銅鐸のような筒を倒すことによって表現される人物の死、そしてトリッキーで唐突な最後の場面などの核となる演出は初演と変わっていないが、新型コロナウイルス感染拡大下での上演の今回は、それに合わせた演出も取り入れられていた。

今回取り入れられた新しい一つは舞台上の俳優たちも全員マスクをつけて演技していたこと、もう一つは紗幕によって最初から最後まで舞台と客席が分断されていたことだ。

ツィッター上で私の感想コメントに対し「ストーリー的な必然性が無いかぎり、舞台上の俳優にマスクはしてほしくない」という返信がついたが、これは私も同感だ。先週見た『病は気から』でも俳優全員がマスクをしていたが、『病は気から』の場合は喜劇ということもありマスクや新型コロナを時事ネタとして作品中に取り込む余地はある(それでもやりすぎではないかと思ったが)。しかし『ハムレット』で俳優が全員マスクだと、このマスクによって新型コロナという劇の外の現実を否応なしに観客は意識させられてしまう。このマスクの「異化効果」によるメタ演劇化は、この『ハムレット』では観劇の興を削ぐものになっていた

 

劇の最初から最後まで紗幕越しに舞台を見るというのもフラストレーションが大きく、私にはきつかった。紗幕、マスクという観劇する上で、観客と舞台を分断する障害物を置くことが、新型コロナウイルス下の私たちの現実生活におけるコミュニケションの阻害やそれによるもどかしさの隠喩になっているとも言えないわけではないが。うっすらうっとうしいもやか蜘蛛の巣がかかったような日常から離脱したくて芝居を見にいったら、その芝居がまたそういう状況を具現したかのような芝居だった。

またマスクと紗幕の存在が、観客-俳優のコミュニケーションのみならず、俳優間のコミュニケーションにも影響し、それが芝居全体のアンサンブルの乱れやリズムの悪さにつながっているようにも思った。

 

最後の場面で突然、時代が終戦直後の日本になり、上からハーシーズのチョコレートが大量に落ちてくるのは、前回見たときにも戸惑ったトリッキーな演出だ。ハムレットの悲劇のあと、デンマークの王に指名されたフォーティンブラスを、マッカーサー・進駐軍に例えているということなんだろうが、それまでの展開でそうした解釈の文脈が示されていないので、観客としてはあの最後の場面のギミックは納得できない。

一年ぶりの静岡芸術劇場だった。感染対策のため、観客席はひとつ置きだった。新型コロナウイルス感染拡大下での公演はどこも苦労しているが、先週、今週のSPACの公演を見ると、SPACではこの一年、公演が十分に打てなかったダメージはかなり大きいのではないかという気がした。公立劇場であるがゆえになおさら、このようなコロナ禍での公演は、劇場を必要としない県民からの批判を意識せざるをえず、その配慮で萎縮してしまった面もあるのではないだろうか。作り手の苦しさが伝わってくるような舞台だった。