閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

お前は誰にも似ていない

MODE
http://www.place-net.co.jp/info/index.html#005

  • 原作:ジャン=クロード・カリエール『恋のメモランダム』
  • 構成・演出:松本修
  • 美術:伊藤雅子
  • 照明:大野道乃
  • 音響:徳久礼子(ステージ・オフィス)
  • 出演:山田美佳、泉陽二
  • 劇場:ザムザ阿佐谷
  • 上演時間:2時間
  • 評価:☆☆☆☆
                                                            • -

突然見知らぬ女が部屋にやってきて居座ってしまう。なんとかして追い出そうとするが、女はなんのかんの言い立てて出て行こうとしない。そんなやりとりを繰り返すうちに男は女に惹かれはじめ、最後にはこの不思議な女との恋愛のために、男はすべてをなげうってしまうという物語。
権力闘争としての恋愛のありようがコミカルで不条理な雰囲気のなかで描き出される。脚本はとてもよくできている。状況は不条理だけど、男女間の心理的闘争のありようについてはリアルで生々しいところがある。こちらが拒絶するとこちらに近づき、こちらが近づくと向こうに行ってしまうような反比例の心理がうまっく描かれている。

突然部屋にやってきたのが山田美佳だったら、僕ならかなり嬉しい。彼女は童顔でコケットで、そしてエロチックな雰囲気を持っている。

今回彼女が演じた役柄は、演出家松本修にとっての山田美佳の存在と、大きく重なっているような気がした。実は松本修にとっての山田美佳ってもしかするとまさしくあのシュザンヌみたいな感じなのではないだろうか。現実世界でも、松本修にとっては山田美佳は可愛いけれどものすごく扱いにくくて、その言動に振り回されてしまっている、といった情景を想像してしまった。

翻訳劇での方言使用(今回は関西弁)については、僕は肯定的ではない。原作では南仏なまりかなんかでしゃべっているのだろうか?
外国語の会話体で方言が使われていたとしても、それを翻訳で日本語の方言に置き換えることは適当なのかどうか。ケースバイケースであるかもしれないけれど、日本語方言にしてしまうことで、原作の方言イメージを重ね合わせることになっているとは必ずしも言えない。山田美佳は大阪出身なのであの大阪弁は「ホンモノ」(女性の関西弁の可愛らしさ、こびには独特の風情があるということを再認識した)ではあった。方言としては不自然ではないのだけど(ちなみに僕は関西出身)、それでも関西弁によって作品全体から「和臭」(翻訳家の小田島恒志先生のことば)が漂ってしまうようなかんじがしてしまう。いわんや人工的なズーズー弁を田舎者を示す記号表現として芝居の台詞に取り込まれている場合など、僕はいつもひっかかってしまう。フランス語の芝居だと、ガスコン方言やブルターニュ方言は「東北弁」風、ピカルディ方言は「茨城弁」風、南仏なまりは「関西弁」風でいいのだろうか? 言語の方言の味わいを翻訳で「中性化」してしまうと、芝居そのものが成立しなくなる場合もあるかもしれないので、一概にこうした置き換えを否定することもできないのだけれど。翻訳劇の台詞における「中性化」、そして「類型化」、「記号化」はどんなにリアルな翻訳劇表現を求めていたとしても避けて通ることができない問題だと思う。
今日の芝居は特にフランスという舞台設定は展開上、人物造型上大きな意味は持っていなかった。台詞に関西弁を使うなら、いっそ場所や人物名も日本に置き換えてしまったほうが効果的であるように思った。