閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

投げられやすい石

ハイバイ
ハイバイのホームページ | Blog Archive ? 投げられやすい石

  • 作・演出:岩井秀人
  • 照明:松本大介(enjin-light)
  • 音響:中村嘉宏
  • 衣裳:小松陽佳留
  • 出演:岩井秀人、松井周、内田慈、平原テツ
  • 劇場:こまばアゴラ劇場
  • 評価:☆☆☆☆★
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岩井秀人の題材の扱いかたに違和感があってハイバイに対しては何となく苦手意識があった。一昨年見た『て』は傑作だと思ったけれど、やはりどこか受け入れがたいところがあった。今回の『投げられやすい石』も傑作だ。脚本、演出ともに非常に完成度が高い。役者の芝居、役柄が醸し出す雰囲気のリアリティも素晴らしい。内田慈のコケットリーも存分に発揮されている。岩井秀人は天才だなあと感嘆したのだけれど、観劇後の後味はよくない。じゃりじゃりと砂を噛んでいるような嫌な気分になった。

物語自体が痛々しい話というのもあるが、ああいった私小説的題材を黒い諧謔を交えた演劇的リアリズムで表現するというのはあまりに生々しくて正視に耐えないところがある。正視に耐えないといいながら面白がって見ているのであるが。『投げられやすい石』は岩井自身の体験ではないかもしれないが、実在の人物をモデルとしているように思われる。

私は『投げられやすい石』を見て、自分が岩井作品に対して持っている拒否感の理由がわかったような気がした。私は岩井の他者に対する視線の冷徹さ、辛辣さに何ともいえぬ意地の悪さ、ひねくれぶりを感じる。『て』における父親、『投げられやすい石』における佐藤、自意識が乏しいエキセントリックでデリカシーのない人間に対する自意識超過剰で繊細な人間が持つ深い憎悪、嘲りの感情を作品のなかに読み取ってしまう。その意地悪さから作り出される笑いには、私が好きな特殊マンガ家、根本敬が異形の人々に向ける視線と重なる部分も感じる。しかし根本敬の表現にはそうした対象に対する共感があるように思うし、そうした人々を面白がり、商売のネタにしていることへの後ろめたさもある。

岩井は自身の姿も作品のなかで戯画化することによって客観化しているのだが、基本的に自身を他者によって攻撃される被害者として思い描いている。そして黒い戯画とともにリアルに再現される他者の姿には、私は作者の愛情や共感を感じ取ることができない。そこに感じられるのは憎悪、軽蔑の感情である。文章でならともかく生身の人間が演じる芝居でこれをやられるときつい。アホな小学生が障害者のまねをして喜んでいる、いじめられっ子の真似をしてウケようとしている、この種のことが極めて高い精度で行われているような感じである。実際には上演中に私は何回も爆笑したのだが、その爆笑は、逆説的だがそうした対象を笑うことの後ろめたさを振り払うためにあえて爆笑してしまったような気がしてしまう。

岩井秀人は作品創造によってかつて自分を苦しめた人間への復讐を行っているようだ。そして作品のなかで彼は「自分は被害者だ、自分は正しい」と主張し続けている。うがった見方であるかもしれないが、その表現の精度の高さに彼の憎悪の深さを見るような気がして、それが岩井作品への拒否感を生み出しているのだろう。

現代口語演劇というスタイルはこうした私小説的表現を生み出す可能性を当然持っている。この後味の悪さは岩井秀人の持ち味だと思うので、今後もどんどんこの路線を突っ走り、さらに表現を先鋭化して欲しい。私は違和感を覚えつつも、しばらくは岩井作品に注目したい。