閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

朝がある

ままごと http://www.mamagoto.org/

  • 作・演出:柴幸男
  • 舞台監督:佐藤恵
  • 演出助手:きまたまき
  • 振付:吉村和顕
  • 美術:青木拓也
  • 映像:浜嶋将裕
  • 照明:小木曽千倉
  • 音響:岩野直人(ステージオフィス)
  • 衣裳:藤谷香子(快快)
  • 出演:大石将弘
  • 劇場:三鷹芸術文化センター 星のホール
  • 評価:☆☆☆☆★
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三鷹芸術文化センターが毎年この時期に企画している太宰治作品をモチーフとした演劇の第9回。
柴幸男のままごとによる「朝がある」は、女子学生の独白体で書かれた短編「女生徒」をモチーフとした作品だった。早期チケット申し込みの特典で新潮文庫を模した洒落た小冊子が上演前に送られてきた。『群像』2012年7月号に系指された柴幸男作「朝がある」と太宰治「女生徒」が収録されている。公演を観る前に未読だった「女生徒」だけを読んでおいた。「朝がある」は公演を観た後の電車の中で読んだ。収録されているテキストは実際に上演された台本とは異なっていた。

「女生徒」に倣い、「朝がある」もおおむね女子高生の独白体の芝居となっていた。だが演じるのは若い男優だ。女子高生独白のなかに時折、その女子高生を見ている男の言葉のパートが地の文のように挿入された上演だった。会場に入るとまず舞台美術に目を奪われる。派手な舞台美術ではない。全体はクリーム色が基調になっている。背景を半円上に四角い石を積み上げた壁が取り囲んでいる。床は滑らかな石畳のよう。石と石を接合するしっくいのような白い線が、奥から放射状に広がっていて遠近感を強調している。ただし舞台は平面である。石切場の跡のような風景のなかを一人の男優が動き回る。

台詞は独特のかくかくとしたリズムでもって明瞭に発話される。時に音楽にあわせ、旋律とリズムをともなって台詞は語られる。時代は現代、2012年7月9日月曜日の朝。学校に行く途中の女子高生がくしゃみをした瞬間がこの劇の主題となる。この主題が虹の七色とオクターブを構成する七つの音階と象徴的に結び付き、7つの変奏曲となって再現される。日常の中の一瞬の時間が、主題の反復と変奏の中で広大な時空へのつながっていく柴幸男的抒情の世界に浸った。音、光、動きのコンビネーションが心地よいハーモニーを作り出している。その表現は感覚に直接訴えかける。役者の動きはパントマイム的で、そのなめらかの動きの連係が美しい。音響と凝った映像表現・照明効果が役者の動きと緻密に結びつくギミックも効果的に決まっていた。、変奏が繰り広げられるにつれ、中性的で何も存在しない劇空間のなかに、女子高生が住む田舎町の情景が浮かび上がってくる。その風景は、抒情的であり感傷的でもあるにもかかわらず、どこか硬質で乾いた感じがする。

柴幸男の演劇の魔法に感覚を制御され、操られてしまった。何もない空間に私は、とあるありふれた地方の朝の風景を見た。モダンな雰囲気の太宰の原作に対する、柴幸男の軽やかで洒落たオマージュだった。何でこんな独創的な変奏曲を思いつくことができるのだろう、柴幸男は。

あっけらかんと明るい幻を見た。でもその明るさ、まぶしさは清々しい諦念と虚無を伴っていることを、私たちは感じている。これは幻なんですよ、実体はないんですよ、と笑顔で念押しされながら展開する情景に、我々個人の様々な記憶の断片が映し出されているような錯覚を覚え、そこから生み出される抒情と感傷にしばし酔う。我々には、嘘くさく薄っぺらい幻が時に必要なのだ。柴幸男は、われわれが無意識のうちに感じている渇きがどのようなものであるか、よく知っている。明るく牧歌的で乾いている「朝がある風景」のなかで人物は、自分ではどうしようもない運命にどこか絶望しているように私には思えた。