閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

第64回東京都中学校連合演劇発表会 第4日目

東京都中学連合演劇発表会とは、要するに中学演劇コンクールの都大会であり今年度で第64回目の開催となる。東京都内の各地域の大会から選抜された27校の演劇部が参加する。審査順位はつかないけれど、この中から2校が関東地区大会に推薦され、1校が全国大会に推薦される。

 

今日は最終日の四日目。今年度都大会の大トリが西東京市立田無第四中学演劇部による柴幸男作『あゆみ』で、ここも有力校とされていた。何年か前、弘前中央高校演劇部による『あゆみ』を見た。女子高生による「あゆみ」は、演者が青春時代のなかにいるがゆえの無垢さゆえにいっそう切なく感動的な作品となっていた。これを女子中学生がうまく上演すれば、さらに感動的な作品になるだろうことは予想できた。しかし「あゆみ」は通常の演劇作品と上演形態が大きく異なるために、指導者に相当の演出力がないとあえてこれを取り上げないはずだ。私はおおいに期待して見に行った。

 

最終日の今日は午前中三演目、午後三演目の計六演目が上演された。以下、各作品の短評。

 

【八王子市立南大沢中学校】『ゲルニカ』(作:下元文乃、指導:上西礼乃)

 四人の少年少女の語りと芝居によって表現される1937年のゲルニカ空襲の惨劇。シンプルな舞台美術が美しい。ホリゾント幕を背景に一メートルほどの白壁が舞台を横断していて、その中央に三段ほどの白い階段がある。左手に花壇と小さなベンチが置かれている。冒頭と最後の部分ではこの白壁の上に四人の少年少女が立ち、観客に向かって彼らが語り、演じようとすること、語り、演じたことを、詩を朗唱するように語る。濃いブルーの背景にシルエットとなる彼らの姿が、美しく冷たい緊張感を舞台上に作り出していたのがとても印象に残っている。効果音や爆撃時の視覚効果の工夫が野暮ったかったのが残念。しかし戦争の惨劇について真摯に考えさせるような清廉さ、真剣さのある作品だった。

 

【私立立教池袋中学校】『願望と憂鬱とハイジャック』(作:西川大貴[卒業生]、指導:初瀬川正志、石田麻保、西川大貴[卒業生])

 卒業生の脚本、演出だが、中学演劇らしからぬ洒落たセンスと巧さがある作品だった。舞台は今から50年後のとある喫茶店。年老いたマスターが一人で細々と経営している店だ。ここに中学同級生の映画監督が、50年前に埋もれたタイムカプセルだという「憂鬱の箱」を持って訪ねてくる。出演三人のみのナンセンス劇だが最後までだれるところがない。映画監督が自分の映画の内容説明や回想を始めると、その脳内が劇中劇的に提示される。小山君というタンクトップに半ズボン、サンダル履きの謎の男が舞台袖から現れて、監督と共にジェスチャーやダンス(タップダンスも披露した!)で無言芝居を行う。この小山君は入退場時には客席に向かい満面の笑顔を浮かべる。この笑顔が不気味で可愛らしい。細かい小ネタの部分もしっかり作り込まれている。いろいろな芸(ナンバー)を詰め込んだレビュー風のナンセンスファルスであるけれど、観察者であるマスターのポジション取りと喫茶店という場の固定によって、展開に説得力のある流れを感じさせていた。余韻を残したラストの場面の作り方も巧い。音楽の選曲も中学演劇としては珍しくいい。この作品はもしかするとその洒脱さゆえに「中学生らしくない」ということで、審査員の評判はそれほど高くないかもしれない。しかし作・演出家の才能と演劇部員が作品作りを楽しんでいることが伝わってくる秀作だった。

 

【目黒区第四中学校】『応援歌』(作:斉藤俊雄、潤色:松林陽子、指導:松林陽子、小林達明[外部指導員])

 作者の斉藤俊雄は中学演劇の戯曲を多数書いている人。七ツ森中演劇部に一人の転校生が入ってくる。彼女は足が速いのだけれど、なぜか走ることを嫌っている。人間同士の絆という倫理的な主題の作品。作者は中学教師なので学生たちの描写には説得力はあるけれど、大人・先生から見た、あるいは大人が願望する中学生像という感じがした。作者の生徒に対する見方のフレームの存在は感じてしまう。ホリゾント幕背景のほぼ素舞台だが、広い舞台空間を有効に使うことができず、ガランとした感じの作品になってしまった。

 

【私立女子聖学院中学校】『World─違う視点から─』(作:渡辺咲貴[生徒]、指導:山﨑洋子、筑田周一)

 演技レベルの高さが印象に残る。マンガっぽい演技様式が確立されている。台詞のタイミングや舞踊的な動きがきっちり決まっていて気持ちが良い。相当、丁寧に稽古を重ね、そのなかで演技様式について工夫を重ねたのだと思う。中学女子特有のキャピキャピしたかしましさが見事に演劇的に表現されていた。しかし脚本は他愛な過ぎて物足りない。文化祭の体育館使用許可を得るために、生徒会長に呼び出された演劇、英語、歴史、軽音の部長たち、しかし実はこの部長たちはみな代理人だったという設定から話をつないでいくのはやはり苦しすぎる。部員たちの内面モノローグをスポットライトの下で話させるとか、内面の葛藤を天使と悪魔というアレゴリー的人物の対立で表すなどの演出上の工夫は豊かだった。仕掛のところどころにオタクっぽい香りも漂う楽しい雰囲気の舞台ではあった。

 

江戸川区小松川第一中学校】『青空』(作:斉藤俊雄、潤色:小松川第一中演劇部・深村薫子、指導:深村薫子、豊岡和俊)

 本日2本目の斉藤俊雄作品。台風で学校に泊まることになった歴史クラブ部員。彼女たちは文化祭のために戦争についての展示の準備をしているところだった。部員のひとりが取材したおばあさんの戦時体験についてのアンケートの答えが、台風で停電の暗闇のなかで肩を寄せ合う彼女たちの心に迫ってくる。丁寧な演技に好感を持つが、600人の客席に向けてのリアリズム芝居の難しさも露呈していた。もちろんこの人数相手では、写実的な芝居はできないし、また写実的な芝居をする力が中学演劇にはない。こうやってみると、プロだから当たり前といえばそうなのだが、青年団の写実芝居がいかに高度な技術と演出によって支えられているのかよくわかる。戦争についてのテーマの扱い方は真摯しで誠実ではあると思うけれど、ありきたりで面白みに乏しい。舞台も暗く、話も暗いので、ちょっと眠くなってしまった。

 

西東京市立田無第四中学校】『あゆみ』(作:柴幸男、潤色:安藤俊也、指導:安藤俊也)

 ひとりの平凡な女性の誕生から死にいたるありふれた生涯を、「歩み」という行為を通してシンプルに、そして技巧的に描き出す柴幸男の『あゆみ』。数年前に弘前中央高校演劇部のバージョンを見たときに、この作品を素人の少女たちが演じるときの効果の大きさがわかった。女子高生よりさらに年齢の低い女子中学生たちがこの作品をしっかりと演じきれば、感動しないわけがない。しかしこの芝居は卓越した女優は必要としないが、能力のある演出家は必要とされる。

 見る前からかなり期待していた。そして実際に見た作品は予想していたよりはるかに素晴らしかった。最初、台詞に詰まったり、舞台にはったテープが剥がれてしまったりというトラブルはあったけれど、ほぼ理想的なかたちで上演された女子中学生による『あゆみ』に立ち会うことができ、大きな満足感を得た。

 後ろに座っていた、おそらく出演者の保護者だと思われるおばちゃんたちが、いちいち「あれ、告白しているね?」「次は子供産まれるだと思う」とかひそひそ話ながら見ているのが気に障ったのだが、45分の劇の半分が過ぎる頃には会場全体が舞台上の「あゆみ」に引き込まれているのを感じることができた。あゆみが中老年になってからの展開はとりわけ感動的だ。私も泣いた。これまで私がたどってきた道を「あゆみ」を通して回想し、そしてこれから私、そして娘がたどることになろうとする道を想像して。この作品を女子中学生に演じさせるというのは、本当にあざとい行為なのだ。

 私はこれまで数バージョンのさまざまなキャストと演出による「あゆみ」を見てきたが、今回の田無第四中のバージョンはこれまで私が見た『あゆみ』のなかでもっともシンプルで、もっとも美しい『あゆみ』だった。