- 作:ジャン・ポール・サルトル
- 訳:岩切正一郞
- 演出:上村聡史
- 美術:池田ともゆき
- 照明:藤田隆広
- 音響:長野朋美
- 衣装:半田悦子
- ヘアメイク:川端富生
- 演出助手:稲葉賀恵
- 舞台監督:田中直明
- 出演:吉本菜穂子、美波、横田栄司、辻萬長、岡本健一、北川響、西村壮悟、山本道子
- 劇場:初台 新国立劇場小劇場
- 評価:☆☆☆☆
サルトルが1959年、アルジェリア独立戦争のさなかに発表した戯曲。
舞台はドイツ北部のハンブルクの一地区であるアルトナで、ナチスの戦争犯罪が問題となっているが、アルジェリア戦争におけるフランスの非道な行いに対する問題提起にもなっているとのこと。
アルトナで会社経営を行う裕福な家族が登場人物である。喉頭癌で余命宣告された父親は、自分の後継者に次男のヴェルナーを指名し、次男夫妻が今後アルトナのこの家に留まることを要求する。しかしこの申し出にヴェルナーの妻、ヨハンナは異議申立てする。 この家の長男フランツは13年前にアルゼンチンに出奔、3年前にそこで死んだことになっていたが、この邸宅の一室に幽閉されていた。長女のレニが幽閉状態のなか、狂人となった兄の世話をしていた。この幽閉中の兄の存在が、この一族に重くのしかかっていた。 ヨハンナは父に請われ、フランツと面会するようになる。若く美しく強いヨハンナに、フランツは心開いていく。
サルトル全集に収録されている戯曲翻訳を半月ほど前に、観劇前の予習として読んだのだけれど、狂人フランツの支離滅裂ながら饒舌で思想的な台詞は読みすすめるのが苦痛だった。フランス演劇のひとつの典型である「ことばの演劇」であり、ヨハンナとフランツ、フランツと父とのあいだでは思索的な論争が延々と続けられる。物語もひたすら陰鬱で悲壮で重い。最後まで読んでみたものの、今の自分の関心とはかけはなれた主題であり、内容はほとんど頭に残らなかった。
上演時間は3時間半。このところは自分がつまらないと思ったものへの耐性が衰えているので、こんな重厚な台詞劇、場合によっては休憩時間に劇場を出ることになるかもと思っていた。実際前半の最初のところはきつくて、休憩時間に帰ろうか帰るまいか迷った。しかし第二幕、フランツの幽閉部屋でのフランツ役の岡本健一とヨハンナ役の美波の緊張感に満ちたやりとりに引き込まれ、結局、最後まで見た。
岡本健一は『ヘンリー六世』三部作と『リチャード三世』で見ていたけれど、この極度に情緒不安定な人物であるフランツ役の人物造形は実に素晴らしい。言っていることは支離滅裂にみえて、かなり思想的で難解な内容であったりもする。狂気と正気のあいだを目まぐるしくいったりきたりするエキセントリックな役柄なのだけれど、ぐっと観客を惹きよせる存在感が彼の芝居にはある。ヨハンナ役の美波は、声や台詞の言い回しは今一つだけれども、とにかく見た目が美しい。若くて美しいということが、力強い魅力を放っている。
岩切正一郞による新訳も、私が読んだ人文書院版全集訳とは比べものにならぬほど、わかりやすい。発話された言葉がしっかりと耳に残る舞台言語となっていた。文字での読書でも全集版の訳よりはるかに読みやすくなっているはずだ。敢えてこの厄介な戯曲をとりあげた上村聡史の演出は、戯曲のことばの重厚さにしっかり向き合っていることを感じさせた。重苦しいけど爽快な舞台。見に行ってよかった。