西江雅之(新潮社,2002年)
評価:☆☆☆★
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言語人類学者(?)の西江雅之氏の半生記.誕生から30の頃まで.新宿の喫茶店にたむろっていた自称「芸術家」たちの生態,アフリカ縦断の旅の記録が面白い.
西江氏の周りの人間の「死」や「不幸」への言及が多い.しかもいずれも淡々とした筆致.「人間も生き物」であるという西江氏の人生観の反映であるように思える.読者へのサービスだろうか,おおらかな性生活を送る人々の描写も多い.西江氏自身の性についてはほとんど書かれていないが.しかし一番衝撃的な内容は「あとがき」にある,西江氏の妻についての言及である.異国で病気に倒れた妻を抱える西江氏の生活上の格闘はどんなものだっただろうか.常にひょうひょうとしていた西江氏にあった影の存在を初めて知る.こうした「不幸」もさらりと淡々と書かれている.
西江氏は僕が大学院修士課程在籍時にはまだ早稲田で教えていた.大学院の授業に出たことがあるが,文化人類學の基本的な概念についてわかりやすく解説する非常に役にたつ授業であった.当時のノートは今でもたまに読み返すことがあるが,文化人類学,言語学のキータームの内容が本当によくまとまっている.しかも西江氏の話術の巧みさによって,大学院の授業としては破格に面白い授業でもあった.ただ西江氏はまったくの原稿なし,ほぼ即興のような形でその日に思いつくことを喋るスタイルだったので,後期になると同じ内容を繰り返したりすることがあったり,あるいはネタ切れのためか授業の中途でぱったり饒舌がとまってしまうこともあった.
「天才型」の奇人であったが,皇族との交流を盛んに喧伝するなど,その奇人ぶりにそぐわぬ俗物的なところもあった.たぐいまれな異人のわりには自己演出や自己宣伝に特異なところがある人だった.僕が鮮烈に覚えているのは,授業のはじめに「僕の文章が高校の国語教科書に掲載されることになりました.今出版されているすべての教科書にです.えーっと,見たい人?」と聞いたときのことだ.そんなことを聞かれても「見たいです!」と手をさっとあげる院生などいるわえけもない.しかし沈黙に耐えられず心優しい「西江ファン」の学生が手を挙げ,結局はクラス中に西江氏の文章が掲載されている教科書のコピーが回覧されることになった.ぼくのところにコピーが回ってきたとき,僕は一瞬息が止まるような驚きを覚えた.回覧されているコピーには西江氏の文章が載っていると僕は思っていたのだが,回ってきたのは各教科書の目次のコピーだけだったのである.自己顕示のあり方としてはあまりに無邪気すぎるがゆえに独創的であるともいえる.
西江氏は突然早稲田を退職した.冬休みに入る前,まだ学年の途中だというのに,急に退職したのだ.あまりにも不自然な辞職.異常な事態である.先生たちはその理由を一切語らない.しかし西江氏の辞職の「噂」はまもなく流れた.西江氏の雰囲気からは信じがたい理由での辞職だった.真実だとはとうてい信じられないような事情ゆえ,彼は辞職した.大学側からの説明は一切なかった.