閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

遊び半分

中野茂樹+フランケンズ
http://www.frankens.jp/

  • 原作:J.M.シング『西の国のプレイボーイ』
  • 誤意訳・演出:中野茂樹
  • 美術:大平勝弘+細川浩伸(急な坂アトリエ)
  • 照明:大迫浩二
  • 舞台監督:山口英峰
  • 出演:村上聡一、石橋志保、福田毅、松崎史也(エレキ隊)、野島真理、ゴトウタケヒロ(POOL-5)ほか
  • 上演時間:1時間45分
  • 劇場:赤坂見附 RED/THEATER
  • 評価:☆☆☆☆★
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中野茂樹+フランケンズの舞台は今回が初見。

この春にアイルランドの劇団による上演で見たシングの傑作、『西の国のプレイボーイ』の翻案ということで関心を持った。
脚本は翻訳・翻案ではなく「誤意訳」となっているが、その翻案の感覚と発想の新鮮さに大いに感心してしまった。
その発想は、新劇風の原典尊重の言語感覚に俳優の側から近づいていくのではなく、現代の標準的日本人の言語感覚に合うように原典に大胆な加筆、削除、改変を加えるというものだ。

翻訳劇上演に際しては多かれ少なかれ、舞台用にこうした改変作業はつきものだろうが、中野茂樹のやり方は徹底していて、現代日本の若い役者の身体に自然になじむレベルまで、原テクストの改変を進める。ただしその言語は、現代口語演劇的というよりも、批評的な冷静さを感じさせる独特な舞台言語なのだけれど。時に「中野語意訳」の文体に、敢えて翻訳調の台詞を交えることで、その落差によって喜劇的効果を呼び出す方法がしばしば用いられるが、台詞を通して役者および観客は常に客観的な視点、メタ演劇な視点を意識させられるのだ。

感心したのはこの演劇的仕掛けが、実に軽やかにモダンで洗煉された形で導入されていたからである。

この言語操作によって、原作の舞台である100年前のアイルランドの田舎町と現在の日本が、舞台上で演劇的に共存することが可能になる。この奇妙なハーモニーは、二つの異世界のギャップによる滑稽さだけでなく、オリジナルの戯曲の持つ普遍的な魅力を引き出しているように思った。
僕は『西の国のプレイボーイ』は劇評を書いたので戯曲をかなり丁寧に読み込んだのだけれども、今日の中野茂樹+フランケンズの公演を見て、この戯曲の素晴らしさについて新たに気づいたところもあった。

アフタートークがあり、原典から「誤意訳」をしているのかとよく質問されるが、既訳を参照している、ただし既訳を引用する場合も、その言葉の9割以上に改変を加えていると中野氏は答えていた。実際、あれほど自在な翻案は、原典から訳していては極めて困難だと思う。時折、翻訳をすることがあるのだけれども、なまじ原文を参照していると、「誤訳」ととられることを意識的・無意識的に恐れ、日本語文は原文の調子をどこかでひきずってしまいがちだからである。

少々独りよがりに思えるタイトルのセンスや、敢えて死角を多くしたという舞台美術の狙い、演技演出の緻密さなど気に入らないところもあったのだが、現代日本での翻訳劇上演の新たな可能性を示す、実に興味深い公演だった。シングのこの戯曲を選ぶという選択眼もすばらしい。
次回作以降も大いに期待したいユニットだ。