閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

エミーリア・ガロッティ Emilia Galotti

ドイツ座 Deutsches Theater
http://tif.anj.or.jp/program/emilia.html

  • 原作:G.E.レッシング Gotthold Ephraim Lessing
  • 演出:ミヒャエル・タールハイマー Michael Thalheimer
  • 翻訳:荻原健
  • 美術・衣裳:オーラフ・アルトマン Olaf Altmann
  • 音楽:ベルト・ヴレーデ Bert Wrede (『花様年華』挿入曲「夢二のテーマ」作曲:梅林茂より)
  • バイオリン:シュテファン・タスト Steffen Tast
  • ドラマトゥルク:ハンス・ナドルニー/オリバー・レーゼ Oliver Reese
  • 照明デザイン:トーマス・ランググート Thomas Langguth
  • 劇場:与野本町 彩の国さいたま芸術劇場大ホール
  • 評価:☆☆☆☆★
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2005/2006年は「日本におけるドイツ年」だそうだ.その割りにはドイツ語業界が盛り上がっているような雰囲気は全く感じないのだが,演劇関連の企画としては昨年はベルリンの三つの劇団(劇場)が来日した.そのうちの二つ,ちょうど一年前の今頃世田谷パブリックで公演していたフォルクスビューネと六月に新国立劇場で公演したベルリナー・アンサンブルの公演を見に行った.どちらも政治性と前衛性を有した極めて刺激的な公演だった.今回来日したドイツ座は1850年に東ベルリンに創設された伝統のある劇場.今回の公演の演出家のミヒャエル・タールハイマーは1965年生まれのまだ若い演出家.彼の演出による『エミーリア・ガロッティ』は2001年にドイツ座で初演された.2005年からドイツ座の主任演出家,近年にはドイツ座で『ファウスト』の第一部,第二部を手がけている(彼の演出による『ファウスト』も機会があればぜひ見てみたいものだ!).
レッシングについては僕は名前を聞いたことがある程度だったが,啓蒙主義的思潮の中にあった十八世紀のドイツを代表する劇作家,批評家であり,後のゲーテ,シラーなどにつながる道を開いたと百科事典にはある.日本では森鴎外が傾倒した作家らしい.

(あらすじ)
グァスタッラの公爵ゴンザーガは、平民の娘エミーリアを一目見て恋に落ちるが、彼女がアッピアーニ伯爵との結婚を控えていることを知り愕然とする。結婚式の朝、教会で祈りを捧げるエミーリアの耳元で、公爵が愛の言葉を囁く。驚き慄くエミーリア。同じ頃、侍従マリネッリの策略によってアッピアーニ伯爵が殺害される。何も知らずに、公爵邸に連れてこられるエミーリア。一方、公爵に裏切られ、プライドを著しく傷つけられた元恋人オルシーナ伯爵夫人は、エミーリアの父親に公爵が娘を誘惑したことを告げ、復讐するように仕向ける。娘の貞操を傷つけた公爵を殺し、娘を連れ戻そうとする父親に、静かに対峙するエミーリアは、自らの身体に流れる熱き血と肉と官能を見出してしまったことを告げ、死を選ぶことを決意する。(プレス資料よりhttp://tif.anj.or.jp/press/pdf/emilia.pdf

公演時間は一時間半ほど.
細長い体育館の内部のようながらんとした無機的な空間で演じられる.舞台美術は極端な透視図法の錯覚を利用して作られているため,空間は奥行きがあるように見える.正面奥の壁には,黒い背景の出入り口が開けられていて,劇中盤まではもっぱら登場人物の入退場はその出入り口から行われる.舞台正面奥から登場し,舞台前面に移動し,退場の際はまた奥の出入り口から出て行くという,ファッションショーの入退場を連想させる動きで役者は移動するのだ.
役者の台詞は早口で,途中でポーズを置くことなく一気に話されることが多い.しかも対話者ではなく,台詞は客席に対峙して話されるのが原則である.台詞の朗唱は自然ではないが,無機的で単調というわけでもない.上演中のほとんどの時間流されるBGM,弦楽オケにバイオリンの即興的なソロが絡むワルツに合わせるがのごとく,台詞の朗唱とディアローグのリズムは音楽的に行われるのである.
舞台の側面は壁がそびえ立つが,劇中盤からこの側面の壁が開いて,そこから役者が退場できるようになる.前半は役者の動きの基本は,奥-手前の方向だったのだが,後半からは水平方向の動きもそれに加わる.役者の立ち位置は,シンメトリックな配置が基本である.複数の人物が舞台上にたつときは,舞台奥の消失点から伸びる舞台中央に伸びる垂直線を境に左右の対称的位置で相似的動きをすることが多い.この芝居での役者はある面「歌舞伎」的である.幾何学的な無機質の舞台の上で定型的な動きをし,台詞は観客のほうに正対した状態で音楽的に語り,時に見得のようなポーズを取ることもある.無表情であることが強調される女優の動きと立ち姿の美しさはマネキン人形を想起させる.役者の立ち位置は,対称性を強調した絵画的効果を計算した上で決められている.
シンプルな舞台美術であるが,役者の計算された動きの美しさ,緻密な照明プラン(朝から夕べの時間の流れをゆったりと変化させるのが基調だが,開始直後と終幕前後にあっと声を上げるような美しい驚きが用意されている)などによる視覚的洗練は,僕がここ数年の間に見た舞台の中で,最も印象深いものの一つである.

僕が昨年以来見たベルリンの劇場の来日公演は三本に過ぎないが,いずれも極めて高いレベルの表現の公演だった.よく吟味した上で日本に連れてきているなぁと感心してしまう.今日の公演も演劇都市ベルリンの勢いと層の厚さを感じさせる質の高い公演だった.東京近郊では彩の国さいたま芸術劇場だけでわずか三公演しかしないというのに,空席が目立つ客席が何ともはがゆい感じだ.東京国際芸術祭の中の公演なのだが,この「芸術祭」,たいそうな名前のわりには,宣伝の仕方が地味で洗練に欠けるためか,認知度と盛り上がりが今ひとつのような.昨年観たチュニジアの劇団とフォルクスビューネも僕にとってはとても満足度の高い公演だったが,やはり客の入りは思わしくなかった.