カナダ現代演劇祭2007
流山児★事務所
http://www.ryuzanji.com/
- 作:キャロル・フレシェット Carole Frechette
- 訳:吉原豊司(ジョン・マレルJohn Murrellの英訳による)
- 演出:小林七緒
- 音楽:中町俊自
- 美術:小林岳郎
- 照明:沖野隆一
- 振付:北村真実
- 出演:伊藤弘子、里美和彦、水谷ノブ、立原麻衣、中田春介、甲津拓平
- 上演時間:75分
- 劇場:両国 シアターΧ
- 評価:☆☆
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カナダ現代演劇祭という企画の一つ。流山児★事務所の制作。フランス語圏カナダの作家の作品ということで観に行った。戦争状態にあるアラブの国を、失ってしまったネックレスを求めてさまようカナダ人女性の話。そのネックレス捜索の過程で彼女が出会う現地人および彼女のコトバを全く解しないタクシー運転手との対話によって、彼女の自我がゆさぶられていく、というお話。捜索の過程で彼女が会話を交わす現地人は、アフォリズム風のことばを彼女に残していく。
定型的なロードムービーの一種だが、時代錯誤的レベルまで植民地風の主人公(そしておそらく作者自身のものでもある)の「アジア」観が無邪気に提示されていることに、大きな違和感を覚える。この時代錯誤は意図的なものではないよう思えた。
テクストの原語はフランス語のはずだが、翻訳はオリジナルの英訳からの重訳。重訳自体は劇言語としてちゃんと翻訳となっているのであれば問題なのだけれど、主人公の言語をほとんど理解できないタクシー運転手の台詞は英語の単語の羅列、主人公は当然翻訳された日本語をしゃべるのだけれど、捜索の過程で出会うアラブ人(?)と彼女はごく普通に会話をしている。となると彼らはオリジナルテクストでは「フランス語」を話すという設定なのだろうか。そうなるとタクシー運転手の超片言の「英語」は原文ではどうなっているのか。
ミッキーマウスの設定で、ミッキーが「飼っている」犬のプルートは「犬」なので四つ足で歩き、わんわんと吠えることしかできないけれど、同じ犬の姿をしているグーフィーはミッキー同様擬人化されているので直立歩行でことばを話し、ときには犬のプルートを散歩に連れ出すこともある、といった複雑でシュールな設定を連想してしまった。この芝居の場合、タクシー運転手がプルート役である。
アラブの街の雑踏の場面、車に追いすがる貧民たちの様子など、集団舞踊的な動きを効果的に使った演劇的表現は印象的だったが、全般に雑で散漫に観じられる舞台だった。戯曲としての出来もそういいとは思えないのだけれど、主演女優に吸引力が乏しいのが致命的であるように思った。演技は相応に達者だったのだけど。主人公の犯罪的な無邪気さが観ていて不愉快で、感情移入できず。
邦題は『ヘレンの首飾り』だが、フランス語オリジナルを尊重するのだったら『エレーヌ(もしくはエレン)の首飾り』とすべきだろう。ちらしに英訳タイトルではなく、わざわざフランス語原タイトルが記されているので気になった。しかもHeleneのアクセント記号の向きがでたらめ。こうしたいい加減さが作品全体の出来を象徴しているように思えた。