J.M.シング/姉崎正見訳(岩波書店、1959年)
評価:☆☆☆☆☆
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19世紀末から20世紀初頭にかけてのアイルランド文芸復興の中心人物の一人、J.M.シングによるアイルランド西方に浮かぶケルトの島、アラン諸島の紀行文。
僕はこれほど美しい紀行文を知らない。
ケルトの古俗が色濃く残るアランの生活と文化が、それらへの深い共感を感じさせる詩的な描写で淡々と記されている。その素朴な風俗と島の人々の人柄、そうした人々の中ではぐくまれた驚くべきファンタジーの数々に、心の底からわき上がるような深く静かな感動を覚えずにはいられない。
シングの演劇作品を観る機会があり大きな感銘を受けたのだが、その演劇作品の題材とイマジネーションの源泉が彼の紀行文にあると知り、図書館にあった岩波文庫版を読んだ。文学者を目指しつつフランスに留学し、ラシーヌなどの古典劇に親しんだシングは、同じアイルランド人の作家イェーツにアラン島の生活を自身の文学の糧とするよう忠告される。38歳で死ぬまでに彼は四度アラン島に滞在し、島の生活を取材し、島の人々から様々な民話を聞き取った。最初の訪問のときは、シングは好意的ではあるものの、外側からの観察者、島の客人でしかなかったかもしれない。彼の記述もおそるおそると他者に触れる感じである。しかし次第にシングが島にとけ込み、島の生活と文化を自らのアイデンティティとして取り込んでいく様子が、その文章から読み取ることが出来る。そしてこうしたアイルランドの固有性の確認こそが、シングに大きな文学的インスピレーションを与えることになったのだ。わずか一〇年あまりの文学者としていのキャリアの間に、彼が発表した戯曲と紀行文はその結実である。
素朴なアイルランドの魂の豊かさを美しい文章で堪能させてくれるこの紀行文の傑作は、戦前に初版が刊行された岩波文庫版以外にも、2000年を超えてからの新しい訳が二種類出版されている。岩波版は現在絶版だが、敢えて「方言っぽい日本語」を使わず、端正で品格ある日本語表現で原作の精神まで表現しているような姉崎訳を敢えて推したい。旧かな、旧漢字の味わいも、本文の内容、訳文の美しさと見事に調和しているように思える。