http://www.nntt.jac.go.jp/season/updata/20000035_play.html
- 作:岸田國士
- 演出:宮田慶子『屋上庭園』/深津篤史『動員挿話』
- 美術:池田ともゆき
- 照明:磯野睦
- 音響:上田好生
- 衣裳:半田悦子
- 上演時間:35分『屋上庭園』/65分『動員挿話』(休憩10分)
- 劇場:初台 新国立劇場
- 満足度:☆☆☆☆☆
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一昨年の初演を見て大きな感銘を受けた舞台だったが、再演の舞台を観てもその感動は薄れなかった。
抽象的な舞台美術を背景に、緻密に構築された会話のやり取りによって成立した緊張感に満ちた作品世界の中に引き込まれる。
前回見たときは自分の状況と重なるところの多い『屋上庭園』により強い印象を持ち、今回もその救いのない最後にどーんとこちらも陰鬱な気分になった。ただ今回見てみると、『動員挿話』のドラマの強度と悲劇のインパクトのほうがより強烈に感じられた。いずれにせよ二作品とも悲劇の傑作だ。
どれほど屑のように軽視されている人間でも、やはり人は自尊心を失っては生きてはいけない。しかし客観的にはときに実に小さくでくだらなく思えるプライドにこだわるために、我々はときに惨めで絶望的な状況に追いやられることもある。人が生きて行く上で本質的に抱えなくてはならないジレンマの一つであるように僕は思う。
上演時間は、『屋上庭園』が三十五分、『動員挿話』は一時間五分。両舞台とも斜めに吊るされ、中央部に人が出入するための入り口が切り抜かれ大黒板が吊るされている。
『屋上庭園』では大黒板には、ビルが建ち並ぶ街のシルエットがチョークでシンプルに描かれている。何年ぶりかで偶然デパートの屋上で邂逅した学生時代の友人二人とそれぞれの妻、四人が登場人物。一組は裕福で、もう一組は貧乏であることがその服装から見て取れる。妻二人を買い物に行かせ、学生時代親しくつきあっていた二人の男はデパート屋上で何年かぶりに言葉を交わすことになるが、零落し貧窮にあえぐ男は見るからに豊かな様子の友人に対して素直に心を開くことができない。自分の貧しい状況を慮った相手の優しい言葉は、かえって貧困に劣等感を感じる男をひねくれさせ、その言動は攻撃的な自虐の度を増して行く。男がそれまで辛うじて保ってきた矜持は、優しい言葉によってその脆さが露呈し、自虐の言葉とともに自壊して行く。
友人夫妻が去ったとき、それまで絶えず聞こえていた雑踏のノイズが消える。妻と二人きり、静寂の中おのれの惨めさを再び確認する男。男の妻は夫の無残に傷つくさまを見ていることに耐えられない。
『動員挿話』も弱い立ち場にある人間も持つ矜持についての物語だ。大黒板はそのまま。しかし劇冒頭でビルの町並みのシルエットは、大小様々の大きさの、殴り書きのように乱暴に書かれた日の丸の絵に書き換えられる。舞台左手奥には馬のシルエットが置かれる。将校夫妻とそこ家で住み込みで働く馬丁夫妻の、やはり二組の夫婦の物語である。『屋上庭園』では裕福な夫妻を演じていた組合せが、『動員挿話』では馬丁夫妻を演じ、貧しい夫妻は今度は将校夫妻を演じる。演じる役柄の立場が二つの作品で入れ替わるという仕掛けである。舞台奥の馬のシルエットは、出征することで馬丁が得ることができる世間的な立場を象徴し、展開にあわせ照明によって強調される。
一家の主である陸軍将校が日露戦争に出征することになった。将校は愛馬の世話を担当していた馬丁にも戦争への同行を強く求める。しかし馬丁は妻の反対で主人の出征に同行できない。馬丁の妻が呼び出され説得が試みられるが、馬丁の妻は明晰な言語で断固として夫の出征に同意しない。夫妻は解雇されることになった。馬丁夫妻はこの事態を受け入れるが、出征せずにすんだことを喜び合う。しかし気の弱い馬丁は、その翌日に妻との約束を反故にし、やはり主人について出征することを決意する。妻の必至の説得にもかかわらず、馬丁は夫妻の私的な関係よりも、男としての世間の面子を優先したのだ。絶望した妻は自殺してしまう。馬丁は自分の愚かな選択を激しく後悔するものの、もうどうしようもない。後悔先に立たず。