閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

溺れる男Un hombre que se ahoga

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  • 原作:アントン・チェーホフ『三人姉妹』
  • 演出:ダニエル・ベロネッセ Daniel Veronese
  • 上演時間:1時間40分
  • 劇場:西巣鴨 にしすがも創造舎
  • 満足度:☆☆☆☆
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東京国際芸術祭2008のパフォーマンスの一つで、アルゼンチンからの招聘団体の公演。

チェーホフの『三人姉妹』の翻案だった。翻案ではあるが、テクスト自体はかなりはしょってはいるけれど(上演時間1時間四十分ほど)、字幕を読むかぎり、それほど大きな改変は加えられていない。原作との大きな違いは、すべての登場人物の性別が原作とは逆になっていることだ。『三人姉妹』ならぬ『三人兄弟』である。三人「兄弟」を演じるのはもちろん男の役者である。字幕の日本語では男の役者は男言葉、女の役者は女言葉で訳されていた。しかし登場人物名は原作のまま。三人兄弟の名前はオリガ、マーシャ、イリーナであり、彼女たちの「妹」はアンドレイ、その「夫」はナターシャである。

役者が皆えらく貧乏臭い格好をしているなと思っていたのだが、衣裳は役者の普段着だそうだ。開場は開演十分前だが、客席に入場すると既に舞台上で役者たちが自由に動き回っている。公開リハーサルをやっているかのようだ。
舞台の照明は上演中も一定で暗転はない。舞台美術は中古のかなりくたびれたダイニングチェアーが手前に一列に客席に背を向けてならべられ、その椅子の列と向かいあう形で向こう側には古びてかなりがたがきている映画館にあるような椅子がこちらを向いて一列に並んでいる。中央にはぼろぼろのソファ。左手には古ぼけたクローゼット、その上には壊れた椅子がのっかている。

イスに挟まれた中央の左右に細長い空間が中心となる演技空間なのだが、役者たちは自分の出番でないときは、両脇の椅子を自由に行き来している。

没落した名家の応接間といった雰囲気は皆無で、がらくたの家具が捨て置かれている大きな倉庫でのリハーサルのような雰囲気のなか、芝居が演じられる。

三人「兄弟」はオリガ、マーシャ、イリーナと呼びかけ合いながらも、むさくるしい男の役者であり、あくまで男性として役を演じている。最初のうちは見ていてかなり混乱をきたす。服装も皆普段着ということもあって、聞き覚えのある台詞や場面が演じられているものの、いったい誰が誰なのやらわからなくなる。だんだん人物の同定ができるようになるのだけれど、三人姉妹が男兄弟になっているのをはじめ、登場人物の性別が逆であることへの違和感は最後まで消えることはなかった。尻がむずがゆくなるような居心地の悪さを感じる。
男兄弟が「働かなければ」とかしんみり言っているのをきいても、「そりゃそうだろ」とつっこみを入れたくなる。


登場人物の台詞はほぼそのまま、ただし性格付けはどの人物も通常の解釈よりはるかにエキセントリックなものになっている。逆上する場面が多いのだ。はしょっている場面がある上、全体にテンポも速いので、展開の過程がときに乱暴に早送りされているような感じだった。『三人姉妹』を知らない人が見れば、相当意味不明の舞台であるに違いない。

原作にある繊細な叙情は、性別が逆になった登場人物の口から発せられることで、そのニュアンスは失われ、こっけいで奇妙なものへと変換されていく。
しかしそれでも最後の場面は、いわゆる通常の「三人姉妹」同様、とても美しく感じられるように演出されているのには感心した。
最後の場面では登場人物全員が客席に向ってならべられている舞台奥の映画館客席に一列に座る。中央によりそう三人兄弟は、美しいことばによって、絶望的状況の中にかすかな希望を提示する。

奇妙な違和感はずっと残る舞台であり、舞台を見た直後は作品自体をつかみきれない消化不良の感じが残ったが(ポストトークの中で作品を反芻することでほぼ解消されたのだけれど)、『三人姉妹』というテクストの可能性を新たに引き出した面白い試みだった。