閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

崖の上のポニョ

http://www.ghibli.jp/ponyo/press/character/

近所のシネコンに家族4人で見に行く。休日にこのような人気作だと大混雑必至なのだけれど、シネコンだと前もって予約できるのが便利なところだ。
あんまり期待はしていなかったのだけれど、思いのほか面白かった。アンデルセンの『人魚姫』を下敷きに、5歳の子供同士のあいだに生まれた「愛」と親子愛のかたちを、海辺のひなびた田舎町を舞台に描く。
海辺の町の風景には妻と結婚直前に言った真鶴の町を思い出したが、坂道と小さな路地がもつれ合う、ごくありふれた海辺の田舎町である。
荒唐無稽でとらえどころのないお話だ。夢の中で物語がでたらめに連なっていくように、自由な連想によって不可思議な出来事がどんどん展開していく。しかし民話の世界でそうであるように、登場人物たちはそのおかしな現象をごく自然な出来事のように受けとめている。

以下、ストーリーの概要となる。

崖の上の一軒家に住む5歳の男の子が、金魚のような赤いひらひらの衣を身にまとった「人面魚」と出会い、二人はすぐに仲良しになる。ぽにょと名づけられたその「お魚」はいったん海の中に戻されるが、魔法の力で手足が伸び、大嵐とともに5歳の女の子の姿になって、男の子のもとに再び現れる。
ポニョの到来に伴う嵐によって町は水没してしまう。ポニョと男の子は船に乗って、昨夜以来、離れ離れとなった少年の母親を探しに行く。この母親探索ののどかな道行が、なぜかポニョが人間となりこの世界にとどまるための、そして世界を水没の危機から救うための(?)「試練」となっているのだ。

「試練」と思えないようなゆるやかな冒険が、本人たちがその覚悟のないままに「試練」として課せられ、その克服を一方的に求められるという展開にはモーツァルトの『魔笛』を連想した。

CGを使わずに、手書きによって丁寧に作られた映像がとても新鮮だった。クレパスや色鉛筆できっちりと塗られたような色彩の組み合わせ、手書きイラスト風にデフォルメされた町や海の表現、ポニョの変容の映像が印象に残る。とりわけ、宗助とその母親が乗った車を、ポニョが波と一体化した魚の上を疾走して追いかける場面の躍動感にひきこまれた。ポニョのキャラクターも可愛らしい。「母なる海」の表象的存在であるグランマンマーレはちょっと苦手。

気になったのは主人公の五歳児、宗助が自分の父、母を呼び捨ての名前で呼ぶことである。宮崎駿にとっては、ああいった呼び方がある種の望ましい親子関係なのだろうか。家族内でどういった呼び方をするかってのは、家族それぞれだと思うけれど、個人的には子供が親の名前を呼び捨てで呼ぶというやり方には大きな違和感を覚える。親子で友達感覚みたいな雰囲気が出るのかもしれないけれど、友達のふりをしていてもやっぱり親子は友達に徹しきれないときが絶対あるしなぁ。