閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

文芸案内朗読会・演劇前夜(第1回)

  • 出演:斉藤ヒナコ、松本萌、たかはしみほ、高野竜
  • 会場:西日暮里 じょじょ屋
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劇作家の高野竜氏による企画、「文芸案内朗読会・演劇前夜」というタイトルの催しに行ってきた。
高野氏が選んだ知られざる文芸作品の傑作を朗読によって紹介するというものだった。会場を替えて、今年中に全部で三回行われる予定。
第一回の今回は西日暮里駅前にあるこぢんまりしたカフェが会場だった。

今日の演目と出演は以下の通り。時間は休憩を入れて1時間半ぐらいだったと思う。
【演目】
1.アル・ヤンコビックとボー・デレクによる演奏(バンド)
2.塚田高行「避雷針」(詩集『樹光』より避雷針)(詩)
3.宮沢賢治「なめとこ山の熊」抜粋(童話)
4.『講談社喜劇全集』「序文」(宣言)
(休憩)
5.シプリアン・エクエンシー「コイン・ダイバー」(小説)
【出演】
斉藤ヒナコ(1と2)
松本萌(1)
たかはしみほ(3)
高野竜(4と5)

会場となったカフェ、じょじょ屋は細長い作りで、20人ほどで一杯になるような小さなカフェだった。出演者は四名、観客は七名+高野氏の奥さんと息子さん、および出演者の付添。
観客は一人で来ていた人ばかりで、互いに知り合いというわけではないので、狭いの中で寄り添っていると、微妙な居心地の悪さが開演前、そして開演後しばらくの間はあった。予定より十分ほど過ぎた七時十分頃、ぎごちない空気のなか、朗読会は始まった。

最初の出し物はアル・ヤンコビックとボー・デレクという女性デュオによる電子ピアノ伴奏による歌三曲。《バラが咲いた》をアルペジオの伴奏のなか、ヤンコビックこと萌さんがまっすぐで素朴な歌声で歌う。あんまり上手ではない。でもちょっと不器用な感じが味わいになっている。二曲目はオリジナルで《パパが、好きだよって言いたいけど言えない歌》。三曲目もオリジナル、《雨の日にローファー履いたら…》で始まる長いタイトルの歌。三曲目を歌う前に、二人が傘をさし、レインコートを着るという演出の間抜けな感じが、とても洒落ていて、可愛らしい。ちなみにこの日は雨が降っていて、外から聞こえる雨音もこの曲の伴奏になっていた。

二番目の出し物は塚田高行という詩人の「避雷針」という短い詩の朗読。朗読者は高校生の斉藤ヒナコ。あまり上手な朗読とは言えない。同じ詩を三回読んだ。一回目は詩のことばを耳で聞いて捉えることができなかった。一回目を読んだところで、竜さんが遠くに見える避雷針を自分も雨に濡れながら見ていることをイメージして読むように指示を出す。大分、ことばが頭に入ってくるようになった。それでもまだ今ひとつ。三回目は、前の回の指示に基づくイメージをもっと膨らませた上で、各詩行を二度繰り返して読むような指示が与えられた。三回目の朗読で詩の言葉の作り出すイメージにようやく輪郭が現れるようになった。

たかはしみほさんによる宮沢賢治「なめとこ山の熊」抜粋の朗読がその後に続いた。山のなかで道に迷った猟師が、母熊と子熊の思わず涙が出そうになるほど微笑ましい会話を耳にする場面。その平穏なやりとりが生み出す幸福感にひたり、猟師はその場から動くことができない。ひっそりと身を隠したまま、親子熊を見つめる。周囲の風景も熊の親子の対話によって、美しく変化していく。朗読を始める前にたかはしさんは、貝殻を耳に当てその音を聞く。無言で貝殻の音を聞く短い沈黙の時間を物語の世界へ入るキューとしていた。情感のこもったゆったりとした語りだった。

前半の締めくくりは高野竜さんによる1930年に出版された『講談社喜劇全集』の「序文」の朗読だった。笑いの効用を名調子で綴るこの序文の朗読は、香具師の口上を想起させるものだった。

休憩のあとの後半は、高野竜氏によるシプリアン・エクエンシー「コイン・ダイバー」の朗読。エクエンシーはナイジェリアの小説家だが、この小説の舞台はアフリカ西海岸にあるシエラレオネである。時間は二十分ほど。この短編小説は橋本千加子訳、土屋晢編訳『現代アフリカ文学短編集2』鷹書房、1977年に所収されている。この短編集は原文が英語で書かれたアフリカの現代小説のアンソロジーだが部数も少なく、取り上げられている作家も日本ではほとんど知られていない人ばかりだ。
「コイン・ダイバー」とは、観光客が海に投げ落としたコインを潜って拾い集める芸人のことだという。高額のコインを観光客に投げ落とさせるために、話芸が必要となる。町の歌姫に恋をした純朴なコイン・ダイバーの切ない愛の物語だった。駆け引きのない、幼ささえ感じるような愛情、嫉妬、承認の願望、そしてそうした素朴な感情によってひきおこされる寓話的状況が、その内容にふさわしい平易な文体で語られる。この朗読はほとんど一人芝居のように語られた。われわれにとって遠く、馴染みのないアフリカの市井の人たちの日常とメンタリティが、気負いのないまっすぐな文章から浮かび上がってくる。じんわりと暖かい余韻が残る。このようなささやかでいとおしい作品を朗読にとりあげる高野氏の選択、またこのような作品を日本語に訳した人がかつていたことに私はちょっと感動した。

朗読会のあいだ、ずっと雨が降っていた。会場となったカフェは大きな通りのそばにあり、その通りを走る車の音が聞こえる。雨音と車の出すノイズが朗読会の最中、いい具合のBGMになっていた。
高野竜さんの芝居は、いつも異世界への出入り口を、その上演の場に作り出す。そもそも演劇というはそういうものなのかもしれないが。狭いカフェの空間が、朗読を通して、遠くて広がりのある未知の世界の戸口となっていた。