閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

森の奥

王立フランドル劇場(KVS)&トランスカンカナル(ベルギー、ブリュッセル)
http://www.komaba-agora.com/line_up/2008_09/kvs.html

  • 作・演出:平田オリザ
  • ドラマトゥルグ、オランダ語・英語翻訳:サラ・ヤンセン
  • フランス語翻訳:ローズマリー・マキノ・ファイヨール
  • 美術:バート・ルイパード&レオ・デ・ニィジ
  • 照明:ハリー・コール
  • 衣装:ティスサ・ストリペンズ
  • 出演:ベルナール・ブルーズ、ミゲル・デクレール、ギイ・デルムル、ステファン・オリヴィエ、ウィリー・トーマス、ミーケ・ヴェルデン
  • 上演時間:1時間40分
  • 劇場:こまばアゴラ劇場
  • 評価:☆☆☆☆
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ベルギーの劇団による平田オリザの作品の上演。作品は平田の旧作『カガクするココロ』と『北限の猿』をベースに、ベルギーの劇団の上演のために全面的に書き換えた新作のようだ。ボノボ(ピグミーチンパンジー)をネオ人類へと進化させようとする研究者たちが主な登場人物という設定が引き継がれている。

平田オリザ作品ならではの緻密なディアローグによる完成された劇世界を堪能できる秀作だった。ネオ古典ともいえるようなその劇行為の骨格の安定感のなかでのリアルな言葉のやりとりは、人物の心理を微妙な陰影とともに浮かび上がらせると同時に、作品に含まれる大きな社会的主題を暗示する。
平田オリザってのはやっぱりすごい作家・演出家だなと感心しつつ、その完成度ゆえか、あるいは作品の主題の硬質さゆえか、感心したほどには、感動せず、観劇後は精巧な工芸品を眺めたあとのような気分になった。

舞台はベルギーの旧植民地コンゴの霊長類研究所。高い知能と乱婚的性行動で知られる類人猿ボノボ(の研究のために、動物行動学のほか、言語学、農学など異なる分野のベルギー人研究者、そしてこの霊長類研究所に観光教育施設を作ろうともくろむ観光業者がここに集まっている。ここに新たにベルギー人心理学者がやってくる。

公演当日配布されたプリントに「人間と猿の違いを描くことで、ベルギーの中にある人種間対立の問題が透けて見えるような構造にした」と平田は書いている。ベルギー王国は、大きく北部のフラマン語(オランダ語)地域と南部のワロン語(フランス語地域)に分かれる多言語国家だ(少数のドイツ語話者もいるようだ)。新参者の心理学者はフラマン語地域の人間のようで、彼に対しては最初、研究所所員はフラマン語で話をしていて、心理学者もフラマン語で答えていた。もとからいる研究所員たちはどうやらみなワロン出身らしく、彼ら同士の間ではフランス語が話されている。心理学者もフランス語が理解できないわけではない。心理学者に対してはフラマン語、それ以外ではフランス語という区分けは次第にあいまいになり、この両者の対話が初対面のよそよそしさから一歩進み、議論の場に入るとこの二言語が交錯するようになる。フラマン語が使われる場面は、互いに距離感を保ったままでいたいときだ。対立にせよ、共感にせよ、相手の心の内側に踏み込もうといった会話になるとフランス語が使われているように思われた。

相手に対する距離感と話の内容とリンクした言語の交代は、平田のディアローグと演出のリアリティと結びつくことで、より大きな効果をもたらしていた。この言語状況の当事者であるベルギー人観客にとってはとりわけ興味深い仕掛けだったはずだ。この作品はベルギーの首都、ブリュッセルですでに上演されているが、ブリュッセルはフラマン語地域にありながらも、ワロン語(フランス語)との二言語が併用されている都市である。

フラマン人の心理学者を迎える研究所所員の態度には最初から歓迎の空気は乏しく、露骨な不信感が漂っていた。このよそよそしさの背景にあるのが言語的対立なのだ。この気まずさがユーモラスに表現されている劇の冒頭部は秀逸だった。

観客は次第に新参のフラマン人と古参のワロン人という明瞭な対立だけではなく、古参の所員の間にもそれぞれの立場や思想の違いによる対立があることがわかってくる。フラマン人心理学者の介入は、グループ内に潜在していた軋轢をむしろ浮かび上がらせることになった。

彼らはすべてボノボを人工的に「進化」させ、人間に近づけるというプロジェクトに関わるが、そのなかで浮かび上がるる人と猿の違いはなにかという問題提起が、アフリカにおける人種間闘争、ベルギー国内の言語問題、そして所員それぞれが抱える家族の問題へとつながっていく。

冒頭の心理学者の登場の場面のあと、若干退屈なワロン人所員たちのフランス語による内輪の談話の場面が続き、芝居は一時的に停滞する。その後再びフラマン人が舞台に登場すると、饒舌な言葉のやりとりのなかで登場人物そそれぞれ抱えてきたものが徐々に明らかになる。アフリカのジャングルのそばで、祖国から離れ類人猿研究に没頭する彼らは、それぞれエキセントリックな部分を持ち、そして社会生活においてとても不器用なところがある人物であることがわかってくる。

波乱のあとには和解がある。フラマン語ワロン語が混じりあう言葉の応酬ののち、古参の所員たちは、新参のフラマン人心理学者を受け入れようとする。もっともそれは全面的な承認ではなく、互いにかかえるわだかまりはそれぞれ抱えたままなのだけれど。

最後のリアリティに乏しい場面は僕は蛇足に思えた。あの場面がなくて終わってしまうと、あまりにあっさりと終わりすぎという感じもないではないけれど。