- 作:マリヴォー
- 演出:熊林弘高
- 訳:阿部崇/小溝佳代子
- 台本:木内宏昌
- 演出:熊林弘高
- 装置:池田ともゆき
- 衣裳:原まさみ
- 音響:長野朋美
- ヘア&メイクアップ:鎌田直樹
- 出演:毬谷友子、渡辺真起子、田島亮、藤沢大悟、藤川洋子、塩野谷正幸
- 劇場:森下 ベニサン・ピット
- 上演時間:1時間30分
- 評価:☆☆☆☆
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一列目中央の席で毬谷友子さまの尊顔を間近から拝むことができた。
マリヴォーはとても好きな作家だ。90年代に櫻花舎が渋谷ジャンジャンでマリヴォー作品の連続公演を何年間か続けてやっていて、よく見に行っていた。
自己愛とエゴイズムの塊のような人間が登場し、恋という支配-被支配のゲームのなかで主導権を握ろうと、男女が手練手管を駆使しあう。マリヴォーにはこのような作品が多い。
しかしの軽佻なゲームの過程で、ときに人は自分を見失ってしまい、混乱に陥る。嘘が真に、真が嘘に、戦略的なことばのやりとりのなかで、語りのなかの真心と作為の境界があやふやになってしまうのだ。
マリヴォーは人間のこころの不安定さ、移ろいやすさをシニカルに冷徹に描く。しかしその作品の中では、同時にこうした人間のありかたを包括的に肯定しようとするような寛大さが、ニヒリズムと共存している。
tptの『いさかい』はマリヴォー劇の技巧性を抽出したようなモダンでユニークな舞台だった。現代美術風のアレゴリー劇というか、現代におけるマリヴォー上演の新しい可能性を見たように思った。照明と衣装などの視覚的な効果がとてもいい。ベニサンの舞台空間を非常にうまく使っていることに感心した。翻訳・台本も軽やかな口語調で、聞き取りやすく、スピード感もある。適度にルーズな感じが、戯曲の遊戯性とうまくかみ合っているように思えた。
毬谷友子さまの演技はちょっと暴走気味に思われるところもあったけど、暴走気味でいいのだ。
隔離された女性がものすごく不細工だった場合、芝居の印象はどう変わるのだろうか、と想像してしまう。筒井康隆の短編で、強烈に不細工な女性を完全隔離して養育し、自分を美人だと信じ込ませたうえで、タレントとしてデビューさせる、というひどい話があったことを思い出した。