閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

四色の色鉛筆があれば

toi presents 4 th
http://toi4th.exblog.jp/

  • 作・演出:柴幸男
  • 舞台監督:佐藤恵
  • 音響:星野大輔
  • 照明:森友樹
  • 宣伝美術:セキコウ
  • 出演:黒川深雪 [InnocentSphere/toi]

 青木宏幸
 内山ちひろ [インパラプレパラート]
 岡田あがさ
 ゴウタケヒロ [POOL-5] 
 斎藤淳子
 佐藤みゆき [こゆび侍]
 武谷公雄 
 永井若葉 [ハイバイ]
 中島佳子 [無機王]
 中野架奈
 中林舞 [快快]
 二反田幸平 [青年団]
 平原テツ
 三浦知之 [InnocentSphere]
 山本雅幸 [青年団]

  • 劇場:三軒茶屋 シアタートラム
  • 上演時間:1時間30分
  • 評価:☆☆☆☆☆
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人の好みはそれぞれだし,観劇時の体調の善し悪しやそのほかいろいろな条件の違いで,ひとつの公演について賛否いろいろな感想が出るのはごくあたりまえのことだ.自分と異なる感想が,自分の気づかなかったところを教えてくれ,観劇体験をさらに豊かにしてくれることも多い.

でもこのtoiの公演については,僕は否定的な感想は目にしたくない.
四編の小さな作品によって表現された叙情に満ちた回想の余韻をそっととっておきたい.音楽的に反復され,重ね合わされることばの響きと身体の動きが作り出すノスタルジックな詩的イマージュの豊かさを満喫した1時間半だった.
「四色の色鉛筆があれば……」,ことばと役者の身体という最小限な道具立てさえあれば,演劇という手段をとおして驚くほど多彩な表現が可能になる.柴幸男の演劇表現は独創的で斬新だ。彼の演劇的手法の目新しさはそれだけで賞賛に値するものだ。しかしその新奇さには「根拠」がある。彼がその技法は、日常性のなかでわれわれが忘れてしまっている、見失ってしまっている美しい時間をより効果的に、感動的に引き出すための優れた手段となっている。

平凡な退屈な人生が,時間というフィルターを通し,思い出となることで,宝石のような輝きを放つこともあるということを気づかせてくれる独創的で非凡な舞台だった.

物心つきはじめた娘と一緒に見てみたかった.彼女がこれから経験し,感じるかもしれない世界はこんなものであるかもしれない,とこの舞台を一緒に見ることで示してあげたい.人生のほぼ半分の時間を共有し,蜜月の期間から対立,倦怠,決定的な破局を回避するための無関心といった具合に関係が変化していった妻とも一緒に見てみたかった.僕がこの舞台を見て感じた感動を,彼女たちとは共有することはできなかいかもしれない.それでも僕は一緒に見てみたかった.そんな舞台だった.

以下,メモ書き.うーん,細部はすでにあやふやになっているところも.いったいどうなってんだ僕の記憶力は.もう一度舞台を見て確認しておきたいけれど(無理なんだよな).

「あゆみ」ではかつて友だちに行った意地悪の数々の記憶が立ち現れ,そのかすかであるが決して消えない思い出が今の「わたし」の心をうずかせる.その友だちとの思い出にえも言われぬ懐かしさを感じつつ,「わたし」は常に心がささくれ立つような後味の悪さをぬぐい去ることはできない.
「ハイパーリンくん」は小学校の教室,理科もしくは算数の時間から始まる.無限に続く円周率の数値,そして10の乗数が示す広大な宇宙の世界,太陽光がある条件のもと,ごくまれに見せる「緑の光」について,ラップのリズムと動きのなか集団で表現される.「グリーン・フラッシュ」については,エリック・ロメールの名作『緑の光線』を連想する.夕暮れ時にごくまれにしか見ることができない「緑の光線」を見ることができたひとは幸せになれる,という言い伝えは映画の物語の核となっていた.教室の空間が,リズムにのったことばのつらなりと役者の移動によって広大な宇宙の果てにまで急速に拡大していく.

『反復かつ連続』は「一人で演じる四人姉妹の朝食風景」というチラシにある副題のとおりの芝居.登場人物は四人姉妹とその母親.とある家庭のある朝の情景が繰り返し一人の女優によって演じられる.しかし一回一回,パート譜が重ねられるように,各人物の台詞が重なっていくかたちで繰り返されるのだ.繰り返されほかの人物の台詞が重ねられることで,だんだん情景の詳細が明らかになっていく.この趣向だけでも十分におもしろいのだけれど,すべてのパートが重ねられて,情景が再現される最後の繰り返しの場面では,声だけが「家」と見なされる無人の空間で響き渡る.無人の家で声だけで再現される過去の思い出.女優は舞台前方にちょこんと座り,背中を丸めお茶をすすりながら,その情景の音に聞き入っている.

最後の『純粋記憶再生装置』では,男女の別れの場面から始まる.とある男女の恋愛の過程が時間をさかのぼるかたちで再現される.男女の破局の場面からはじまり,恋愛の誕生へとさかのぼるという表現のしかたは,フランソワ・オゾンの『ふたりの5つの別れ路』を連想させる.ただし『純粋記憶再生装置』では二組の男女が,ひとつの恋愛の終焉から誕生までを表現する.この4人の関係は流動的で,パントマイム役と台詞役に大まかに分かれる,誰がどの役割を担うかはどんどん不安定で混乱したものになっていく.すでに曖昧なものになっていた記憶のなかにある愛の始まりの甘美な時間に到達したところで芝居は終わる.