閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

ワーニャ伯父さん

華のん企画
http://www.owlspot.jp/performance/090219.html

  • 原作:アントン・チェーホフ
  • 英訳:マイケル・フレイン
  • 翻訳:小田島雄志
  • 脚本・演出:山崎清介
  • 照明:山口暁
  • 美術:松岡泉
  • 音響:角張正雄
  • 衣裳:三大寺志保美
  • 出演:木場勝己 伊沢磨紀 松本紀保 柴田義之 戸谷昌弘 小須田康人 楠侑子
  • 劇場:東池袋 あうるすぽっと
  • 上演時間:二時間
  • 評価:☆☆☆★
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2/24のソワレを観劇。
エキセントリックで情緒不安定の度が過ぎるように思えるワーニャ伯父さん、「美しい」と呼ばれる役を引き受けるにはルックス、演技力ともに疑問符をつけたくなる松本紀保などキャスティングに疑問を持つ。ソーニャを演じた伊沢磨紀のみが説得力ある演技で観客を惹きつけるが、全体のアンサブルはちぐはくで説得力に乏しい舞台だった。
この日は体調がよかったので、チェーホフの台詞の連鎖とリズムに身を委ねる気分だったのだけれど、第一、二幕の単調さにはちょっといらいらした。
それでも最終場でのワーニャをいたわるソーニャの台詞は、とても優しく美しく、こちらの心のなかに届き、それまで感じていた不満はかなり解消された。

チェーホフ作品の舞台としては不満が大きかったのだけれども、たとえ自分には気に入らない舞台でもチェーホフの四大傑作は見るたびにものを考えさせる。
「ワーニャ伯父さん」では人生は往々にして報われないものだという切ない現実を詩的に描かれている。ワーニャとソーニャの敗残者ぶり、アレクサンドルの俗物ぶり、無能ぶり、エレーナと医師の冷然とした欺瞞、それぞれの登場人物が抱える弱さと醜さすべてに思い当たるところがある。そう、人生は報われないし、自分の望み通りにはならない。しかしこの当たり前すぎる現実をはっきりと受容れることはときになんと痛切なことだろうか。報われない人生をそれでも生きていかなければならない、その行き着く先の死の向こう側で神が慰安を与えてくれるだろうというソーニャの言葉は、何とも言えぬ優しさに満ちているけれども、彼らが生きている現実の前ではやはり虚しい響きであるようにも感じられる。僕だったらワーニャにどのような言葉をこのような場合かけることができるだろうか、と考えてしまった。

「楽観的に絶望する」というこのブログのタイトルが思い浮かんだ。このタイトルはブログを開設した当時の僕の状況と心理状態を反映している。いろいろな面で袋小路の絶望的な状況だったのだ。その状況はいまでもそれほど変わりないかもしれない。でもちょっと客観的に自分の状態を考えると、確かに先の見えない絶望的な状況ではあるけれども、そうした状況はごくありふれたものであるとも言える。多くの人々が人生のなかで、何度かは同じ程度のどうしようない状況に直面することはあるだろうし、そしてそのなかのかなり多くの人々はそれでも何とか絶望しつつも生きている。絶望には値するかもしれない状況では確かにあるけれども、深刻に悲観的になるほどのことではない。この閉塞状況を楽観的に受け止めることにしよう。このブログは僕にとっていわば一種のリハビリのようなものなのかもしれない。
僕ならワーニャにこう言うかもしれない。人生は確かに報われないものだ。自分が抱いてきた期待はことごとく裏切られてしまう。惨めで退屈だ。でもそれでも生きていれば、ときおり思いがけない小さな喜びを手にすることもあるではないか。人生は思い通りには決してならない。喜びの時間でさえも。でも僕たちが予想してなかったそうした小さな喜びのなかにこそ、生きていく上で大切なものが含まれているような気がする。