閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

a tide of classics 三好十郎・浮標(ブイ)

桃園会第39回公演
http://www.toenkai.com/

  • 作:三好十郎
  • 演出:深津篤史
  • 美術:池田ともゆき
  • 照明:西岡奈美
  • 音響:大西博樹
  • 出演:紀伊川淳、亀岡寿行、はたもとようこ、森川万里、橋本健司、長谷川一馬、川井直美、山本まつ理、出之口綾華;武田暁(漁灯)、上田一軒(スクエア)、加藤智之(France_pan)、佐藤あい、椿弓里奈、吉川育江
  • 劇場:難波 精華小劇場
  • 上演時間:3時間40分(休憩10分)
  • 評価:☆☆☆☆
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三好十郎の戯曲を桃園会が取り上げるということで楽しみにしていた。深津篤史はどのようにテクストを読み込み、どんな圧力をかけてテクストを変形させるのか。
上演時間は休憩10分を含み3時間40分(!)だった。おそらく原作戯曲のテクストはいじっていない。一切削除せずに上演したのではないだろうか。劇場は大阪小劇場のメッカ(?)である精華小劇場。昭和のはじめに建設された元小学校校舎を利用した小劇場だ。大阪の難波の繁華街のまっただ中にある。客席は200ほど。6年ほど前に劇場として開館したそうだが、私が行くのは今回が初めてだった。さて芝居のほうだが、あまり肯定的な感想ではないので、もし読まれる方がいるならそのつもりで。







3時間40分の長丁場であり、台詞の量も多い。主演の役者(紀伊川淳)の奮闘ぶりは賞賛に値する。結核を患い死の床にある妻と彼女を介抱する画家の夫、そして家の家政婦が中心となる人物である。夫は日々衰弱していく妻を見て、妻を励ましつつも己の無力さにうちひしがれる。耳の悪い家政婦は善意そのものような人物であり、いつも笑顔で献身的に病床の女主人の世話をする。この家を訪問する様々な人たちとのやりとりのなかで、画家である男の人生観、宗教観、家族観、恋愛観、社会観がゆさぶられ、問い直される。
シンプルな展開だが台詞の内容はきっちり詰まっていてどっしりとした重量感がある。桃園会ではまな板状の簡素な舞台で、音楽に頼らずにこの言葉をきっちりと伝えようとしていた。蝉の声と波の音が通奏低音のように響き続ける。この音によって劇内世界の静けさが逆に強調される。

大阪弁を使う家政婦のおばさんを演じた女優(川井直美)は達者だったし、他にも戯曲のト書きの記述をしっかりと解釈した上で表現していることを感じさせる役者はいたけれど、全般的に役者が三好十郎の戯曲の台詞を消化し切れていないような印象を持った。一つ一つの台詞が反応し合って連鎖していく対話になっていない。台詞同士のリズムのかみ合わせが悪い。一本調子のモノローグをそれぞれの役者がそれぞのやり方で話しているような感じが私にはした。その不自然さに失笑もしばしば客席からあがった。あのわざとらしさ、ぎごちなさは演出上の要請ではないと思う。演出上の要請であったとすればその意味が私にはわからない。舞台に出ているだけでなぜか笑いを引き起こしてしまう、とぼけた味わいの存在感を持つ役者、橋本健司の滑稽さは許容できるものだったけれど。それにしても芝居にもう一工夫欲しいように思った。
クライマックスの万葉集の朗読の場面は、役者が何を伝えたいのか伝わってこなかった。古語自体、耳で聞いて理解するのは難しいのだけれど、朗読の仕方にも問題があったように思う。

アンサンブルの感覚に乏しい芝居であり完成度の点からは不満を感じる。
ただし3時間40分の長丁場にも拘わらず退屈はしなかった。これは戯曲の力だと思う。 否定的な感想を書いたが、作品の持つ美しさはしっかりと伝える舞台だった。

「少年」を演じた女(佐藤あい)、丸坊主にしていた。くりくりボウズがよく似合っていた。あの役者根性、偉いなあ。