- 作:クリストファー・マーロウ
- 翻訳:河合祥一郎
- 演出:森新太郎
- 美術:堀尾 幸男
- 照明:中川 隆一
- 音響:藤田 赤目
- 衣裳:西原 梨恵ヘアメイク:佐藤 裕子
- 演出助手:城田 美樹
- 舞台監督:大垣 敏朗
- 出演:柄本佑、中村 中、大谷亮介、窪塚俊介、大鷹明良、木下浩之、中村彰男、西本裕行、瑳川哲朗、石住昭彦、下総源太朗、谷田歩、石田佳央、長谷川志、安西慎太郎、小田豊、原康義
- 劇場:新国立劇場
- 上演時間:3時間
- 評価:☆☆☆☆★
エリザベス朝の劇作家による十四世紀前半のイングランド王室を舞台にした歴史劇。ポップで現代的な装いをうまくとりこんで、停滞を感じさせないスピードのある展開で見せる歴史絵巻となっていた。河合祥一郎の訳の工夫もあるが、演出家、森新太郎の脚本の読み込みの深さも感じさせる。おそらく原作は題材的にかなりとっつきにくいものであるように思うのだけれど、その核となる部分をしっかりと把握し、現代の日本の観客にわかりやすく提示する術に森新太郎は長けている。ときにそうしたわかりやすくするための工夫が「やりすぎ」に感じられることもあるのだけれど、本公演では役者の確かな演技力もあって気にならなかった。テキストレジでの工夫だけでなく、演技の演出も相当細かく指示を出していたように思える。 状況説明的なモノローグの処理がとてもいい。「語りもの」へと転換のさせかたがスマートで、モノローグの不自然さが気にならない。
役者の咀嚼力、表現力の素晴らしさも堪能できる舞台だった。前半エドワード王の同性愛の相手であった寵臣、ギャヴィストンを演じた下総源太郎の道化ぶり、王妃イザベラを誘惑するモーティマーを演じた石田佳央の堂々たる色悪、そして唯一の女性役、王妃イザベラを演じた中村中の王妃にふさわしい美しさ、エドワード二世の息子を演じた安西慎太郎もよかった。 しかし何よりも圧倒的な存在感を示したのはタイトル・ロールを演じた柄本佑である。ナナフシのようなひょろっとした身体をゆらゆらとさせ、軟体動物のようにしなやかに、しかし素早く動く。その動きの面白さだけでも魅了される。台詞もいい。長台詞も微妙な緩急と調子の変化で、観客の注意をそらさない。現実に背を向け、同性愛にふけるダメな王様であるエドワード二世が、そのどうしようもなさゆえに愛すべき愛嬌のある人物になっている。この間抜けな王様の記号として、長大な付けひげを考案した森新太郎のアイディアは素晴らしい。
各人物の演技は心理描写の細かいリアリズムではなく、記号的だ。事態の変化に人物たちは、その事態を意志によって切り開くと言うよりは、その場その場で反射的に反応し、「運命の車」に繰られるかのように、破滅へと向かっていく。
クリストファー・マーロウはシェイクスピアと同時代の劇作家ということで名前は知っていたけれど、作品は読んだことも、その舞台を見たこともなかった。 今回の『エドワード二世』は歴史劇というジャンルということもあり、予備知識がないとあまり楽しめないのではと懸念して、上演情報が出たときには見に行こうかどうか迷っていたのだけれど、私が信頼する見巧者が推薦していてやはり見に行くことにした。 見に行って正解だった。歴史劇の醍醐味を味わうことができた。脚本がよくできていて、人物の個性が際立っている。シェイクスピアの歴史劇の傑作と比べても遜色がないように思う。 主人公の『エドワード二世』は14世紀前半、英仏百年戦争の直前にイングランド王位にあった人物だ。彼の妻、イザベラがフランス王の娘だったため、イザベラとエドワード二世の息子のエドワード三世の時代に、フランスの王位継承権をめぐって百年戦争が始まった。 イングランド歴代王のなかでもエドワード二世の評判はよくない。同性愛の関係にあった寵臣を贔屓して、国政をまともに行わず、王妃イザベラに愛想を尽かされて、最後は肛門から焼けた鉄串を突き刺されて死んでしまったという。