閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

ブラウニング・バージョン

雷ストレンジャーズ『ブラウニング・バージョン

  • 作:テレンス・ラティガン 
  • 翻訳・演出:小山ゆうな 
  • 美術・衣装:大島広子 
  • 照明:成瀬一裕 
  • 音響:牧野宏美 
  • 翻訳協力:深川広樹 
  • 演出部:正宗史子 
  • 舞台監督:高橋良直 
  • 出演:モロ師岡紫城るい、杉浦一輝、松村良太、倉石功、田辺千絵美、萬谷法英 
  • 上演時間:95分 
  • 劇場:新宿御苑 シアターサンモール 
  • 評価:☆☆☆☆ 

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 雷ストレンジャーズの舞台を見るのは、今回が初めてだった。ラティガンの『ブラウニング・バージョン』は、2005年に鈴木裕美演出で見て大きな感銘を覚えた。 雷ストレンジャーズの主宰・演出の小山ゆうなはかつては劇団NLTにいたとのこと。これが四公演目のまだ新しいユニットだ。これまでにはシラーの作品を二作と親子向けの朗読劇としてメーテルリンクの「青い鳥」をやっている。小山ゆうなはまだ若い演出家のようだけれど、作品の選び方が渋い。 

 新劇風の演出だった。表現が記号的。最初のうちは少々古くさく思えるその演技スタイルが気になった。音楽も安易に使いすぎていて、ちょっとうっとおしい。しかし次第に戯曲の面白さに引き込まれ、演出の野暮ったさは気にならなくなってしまった。

 本当に素晴らしい戯曲だ。演出はその戯曲のよさを堅実に伝えるオーソドックスで素直なものだ。ラティガンのような戯曲では、演出家や俳優の余計な介入はかえって作品の興を削いでしまう。むしろ演出と俳優が透明になり、戯曲のことばを丁寧に伝えるほうがいい。 

 舞台は全寮制パブリックスクールの教員宿舎の居間。心臓病で定年前に退職することになった古典語教師アンドルウをモロ師岡が演じる。数十年にわたってこの学校でギリシア語、ラテン語を教えてきた彼だが、陰気な厭世家であるアンドルウは学生から好かれていない。彼の妻ミリーも彼には愛想をつかし、若い化学教員フランクと不倫をしている。彼は人間らしい感情を押し殺したまま、おそらく学生にも妻にもまともに顔を向けることなく、何十年も過ごしてきた。彼は自分が魅力に乏しい人間であることを自覚している。満たされているとはいえない自分の現況を甘受してつつも、愛されることも強く望んでいる自分にも気付いている。古典のテクストと静かに向き合うこと、自閉することで自分をずっと守って生きてきた。 

 彼が退職する前日、彼は自分の学生の一人を自宅に呼び、ギリシャ語の補習を行った。あまり出来のよくないこの学生は、アンドルウが部屋に入ってくる前に、化学教師フランクの前でアンドルウの物真似をして茶化していた。しかしアンドルウを馬鹿にしつつも、この学生はアンドルウを嫌いではないと言う。 学生と一対一の補習の最中に校長がやってきて、学生は退室する。校長はアンドルウに屈辱的な申し出を伝えるが、アンドルウはそれを受け入れるしかない。 

 ラティガンの戯曲は本当に美しい。古典語教師夫妻に凝縮された人生に対する絶望、諦念、倦怠の深さ、これらを受け入れざるを得ない人間の悲痛さに、見ていて胸締め付けられる。古典語教師のアンドルウはその人間的魅力の乏しさ故に、ずっと若い頃から、あらゆる人に傷つけられ続けてきた。彼の人格は当然屈折し、いじけたものになってしまう。学生がブラウニング訳の『アガメムノン』をアンドルウにプレゼントしたのは、果たして彼の妻リリーが言うように、単位が欲しいという打算からだったのか。それとも学生が孤高の古典語教師に密かに抱いていた敬意ゆえだったのか。 

 ラティガンの戯曲については、演出や俳優の演技の介在がないほうが好ましいようにさえ思う。仲介物なしに、テクストから直接、作品を味わいたいような気がする。