閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

ままごと『わたしの星』

  • 作・演出:柴幸男
  • 出演: <オーディションで選ばれた高校生>生駒元輝 坂本彩音 佐藤まい 西片愛夏 西田心 札内茜梨 山田奈々緒 吉田圭織 吉田恵 吉永夏帆
  • 高校生スタッフ:新井悠里 小俣七海 小出実樹 徳野絵美理 中村瑠南 町田将太郎
  • 舞台監督:佐藤恵
  • 美術:青木拓也
  • 照明:伊藤泰行
  • 音響:星野大輔(サウンドウィーズ)
  • 衣装:藤谷香子(FAIFAI)
  • 宣伝美術:セキコウ
  • チラシ撮影」濱田英明
  • 演出助手:濱野ゆき子、高梨辰也(トッコ演劇工房)
  • 制作:加藤仲葉(ままごと)、森川健太(三鷹市芸術文化振興財団)
  • 制作統括:森元隆樹(三鷹市芸術文化振興財団)
  • 製作総指揮:宮永琢生(ままごと|ZuQnZ) 
  • 特別協力:急な坂スタジオ
  • 協力:株式会社キューブ、株式会社ボックスコーポレーション
  • 企画制作:ままごと(一般社団法人mamagoto)、公益財団法人三鷹市芸術文化振興財団
  • 主催:公益財団法人三鷹市芸術文化振興財団
  • 劇場:三鷹市芸術文化センター 星のホール
  • 上演時間:90分
  • 評価:☆☆☆☆

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 柴幸男の代表作『わが星』の世界観をベースに、オーディションで選ばれた一〇人の高校生によって表現される私と星々の物語。背景となる世界観は『わが星』と共通していて、『わが星』へのレファレンスが作中であるけれど、物語としては別のものになっていた。

 夜、星を眺めているときに、宇宙のはじまりや星のはじまりと終わりを思い浮かべたりすることがある。理科の授業で習った事柄の記憶から導き出された素朴な夢想だ。今、見ている星は、実は数万年前に消滅してしまっているのかもしれない。地球も巨大化した太陽に飲み込まれてしまって、いつの日か確実になくなってしまう。人類が誕生したのは宇宙の歴史、地球の歴史からみたらごく最近のことだ。そして人類が滅びてしまったあとも、地球はずっと存在し続けるだろう。などなど。

 『わが星』と『わたしの星』は、そうした宇宙、星、地球の長大な歴史に「私」の人生を重ねてみたときに浮かび上がる夢想を演劇化した作品だ。

 『わたしの星』の舞台は未来の日本のどこかにある高校だ。蝉の声が聞こえる。地球に人類が間もなく住めなくなってしまうことが明らかになり、多くの人々は火星に移住し、そこに新しい地球を建設していた。この高校には九人の生徒しかいない。女生徒が八人で、男子が一人。生徒たちは文化祭の練習をしている。

 そのうちのひとり、スピカは明日、地球を出て火星に行ってしまうことを、同じ学年の幼なじみのナナホに告げる。他の生徒たちの動揺を怖れ、スピカは火星行きをぎりぎりまで伝えることができなかったのだ。スピカはナナホだけに転校を伝え、ちゃんと別れを述べないまま、ひっそりと火星に移住するつもりだった。難病を抱える火星からの転校生ヒカリの忠告、ワードローブに隠れているときに聞いた友人たちのやりとりを聞いて、スピカはみんなの前に姿を現す。そしてヒカリを前に、文化祭で演じることになっている『わたしの星』という舞踊音楽劇を演じてみせる。お互いに大好きで大嫌いだった幼なじみ、スピカとナナホは、踊りのなかで和解し、別れを言葉を述べる。
 スピカがロケットに乗って火星に旅立つ日も、高校の仲間たちは高校の音楽室にやってきて、文化祭の練習を行う。練習用に音楽を録音しておいたカセットのオリジナルはスピカが持って行ってしまっていた。ナナホが持っていた予備のテープで練習をすることになる。ナナホが再生ボタンを押すと、そこからはスピカの声が聞こえた。皆が踊りはじめたとき、ロケットが発射された轟音が聞こえる

 一月前に見た青年座の『あゆみ』、先日見た劇団うりんこの『妥協点P』に比べてみると、『わたしの星』のほうがはるかに柴作品らしい感じがする。10人の高校生キャストの芝居のリズム、動きから、柴幸男がしっかりと演出をつけていることが覗える。演技は達者で、作品の完成度は高い。ただ高校生俳優の台詞の話し方は気張った大声でかなり騒々しい。このうるささはかなり耳障りであったけれど、こうした過剰さもまた高校生的なものと言えるかも知れない。

 「さよなら」の寂しさと悲しさと美しさが、衒いなくまっすぐ歌われる演劇的抒情詩だった。スピカとナナホが二人で踊りながら対話し、「さよなら」を言い合いながらフェードアウトする場面がとりわけ印象に残る。録音テープに残ったスピカの声を聞かせる、最後の場面の作劇上の仕掛けも見事だ。高校生というキャストの特性を踏まえた戯曲のつくりの巧さはさすがという感じ。

 前半部では高校生俳優の騒がしさに馴染めなかったのだけれど、結果的には作/演出家の目論見通りにコントロールされてしまっていた。

 戯曲が無料公開されいるこの作品は、今後、いろいろな高校で演じられる古典になるだろう。原典であるこの公演の発想にはない斬新な『わたしの星』の舞台をまた見てみたい。