閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

SPAC『しんしゃく源氏物語』

http://spac.or.jp/the_tale_of_genji_2018.html

  • 演出:原田一樹
  • 作:榊原政常
  • 衣裳デザイン:朝倉摂
  • 舞台美術:松野潤
  • 出演:池田真紀子、石井萠水、大内智美、河村若菜、舘野百代、ながいさやこ、山本実幸
  • 劇場:静岡芸術劇場
  • 上演時間:100分
  • 評価:☆☆☆☆★

----
SPAC最多上演レパートリー作品だが、私は見るのは今回がはじめてだった。
醜女の末摘花が荒れ果てていく家でひたすら光源氏の来訪を待つという話だ。
源氏物語』のエピソードをそのまま使っているが、劇作品となったこの『しんしゃく』は『ゴドーを待ちながら』のバリエーションになっている。

「もう光源氏はやって来ないかもしれない」という絶望感の中で貧困に喘ぎながらも、退廃することなく矜恃を保ち続け、健気に「待つ」姫を演じた池田真紀子がよかった。

彼女の演じた末摘花の高潔さが「待つ」という状況に重層的で形而上的な深さをもたらした。この作品を見た観客は、彼女が到来を待望していた「光源氏」にさまざまなものを投影するだろう。「光源氏」は自分ではどうすることもできない運命の象徴であり、この作品は運命に翻弄されつつ、運命に希望を託し、それにすがって生きていくしかない人間の姿を描いた悲劇だ。現れることのない光源氏は彼女を救い出す「白馬の王子」的な存在から、彼女の生存の本質にかかわる何かに変貌している。

待望の光源氏の再訪を知らされたとき、彼女は一度「会うのは嫌や」と拒んだ。その言葉のあとの数秒間の沈黙が作り出す緊張感がたまらない。あの数秒間に彼女の思い、悔しさが凝縮されている。最後の場面の末摘花の美しさは崇高さを感じさせるものだった。

七人の女優がみな素敵だった。女優の素晴らしさに注目してしまうような戯曲と演出だった。末摘花に寄り添う老女、少将を演じた舘野百代の芝居がとりわけ印象に残った。
姫と娘の間で葛藤し、混乱する様をコミカルに丁寧に演じていた。彼女の存在はこの劇の要となっていた。ひたすら待つ状況が続き、停滞するこの物語に心地よいリズムを作り出していた。

河村若菜が演じた叔母が末摘花をいびり倒す場面もリズミカルなのりがあってとても良かった。関西弁のいびりの勢いが、あの場面に絶妙の緊張感をもたらす。表情や仕草、口調の一つ一つにニュアンスがあり、俳優の細かい配慮と工夫が伝わってきた。意地悪演技は堂にいったもので、観客の笑いを取っていたが、単なる意地悪叔母さんではない思いやりのかけらみたいなところもさりげなく表現に入れているところが心憎い。

この作品は中高生鑑賞事業でも上演される。『源氏物語』が題材と言うことで多くの学校から申込みがあったそうだ。思春期のただなかで、希望と不安を抱えながら何か分からないものを待っている彼らがこの作品にどんな感想を持ち、どんな反応を示すのか知りたい。ある種の迷える子供たちにとっては、ひたすら待ち続ける末摘花の物語は、まさに自分の抱える実存への不安をかたちを与えてくれるような、たまらない体験になるのではないだろうか。