閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

前進座リーディング公演『ああ、母さん。あなたに申しましょう』@江戸東京博物館大ホール

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前進座リーディング公演『ああ、母さん。あなたに申しましょう』@江戸東京博物館 大ホール

5人の俳優による朗読劇。舞台のひな壇に二人の俳優、床面に三人の俳優が並んで、観客の方を向いて朗読する。
都下で新型コロナウイルス感染者数が300人近くなる日が続いた上、さらに新宿の劇場で集団感染が起こってしまったために、舞台芸術公演に極めて厳しい視線が向けられるなかでの上演である。入場時には観客一人一人が発熱チェックと手の消毒を行い、会場客席は間隔が設けられ、観客はマスクを装着しての観劇となる。観客を迎えるスタッフはマスクと透明シールドを装着し、手袋をはめている。
この状況下の公演は当然赤字にしかならないだろう。しかしそれでも公演を行う、公演を見て欲しいという役者とスタッフの心意気が伝わってきて、こちらの背筋も伸びる。
『ああ、母さん。あなたに申しましょう』は通常の前進座公演ではかかる機会がなさそうな現代の日本を舞台とした喜劇だった。妊娠がわかり、赤ちゃんが生まれるまでの若い夫婦の葛藤と成長を、モーツァルトの『キラキラ星変奏曲』に乗せて、軽やかにコミカルに描き出す。夫婦の妻のほうはキャリアウーマンで、いささか軽薄で見栄っ張りなところがある今時の女性である。夫は無名の前衛芸術家。温厚な性格で妻を大事にしているけれど、稼ぎはない。若い夫婦のやりとりは、子供がいる夫婦が見ればまさに「あるある」と膝うちするようなシーンがいくつもあるだろう。私も自分たちの子供がうまれるときのことを反芻しながら舞台の展開を見守った。子供から見れば親は親らしいのがあたりまえのだけれど、親は最初から親らしいわけではない。あらゆる親は子育ての初心者だ。とりわけ最初の子供が生まれるときはそうだ。親は子供を持つという経験を通し、子供とともに親らしくなっていく。子供を持つということがどういうことなのか想像できなくて、喜びつつも戸惑い、不安だったあの頃の自分の姿を、舞台上の夫婦に重ねずにはいられない。
極めてシンプルな物語であり、ありきたりの題材なのだけれど、こうしたありきたりのエピソードを観客に共感させるのは簡単なことではない。劇のタイトルの『ああ、母さん。あなたに申しましょう』は、モーツァルトピアノ曲、《キラキラ星変奏曲》のオリジナルタイトルなのだが、この軽やかな曲がこの劇のテーマソングとして、何回も流れる。様々な変奏がそれぞれのシーンの雰囲気に合わせて流れる仕掛けが効果的だった。そしてこれぞプロの読み方とうなってしまう俳優の朗読技術の高さ、細かな工夫にも引き込まれる。昨年の前進座公演でいわさきちひろを演じた有田佳代さんが、今時の女性を上手に表現していた。この若い妻は、悪い人ではないけれど、ちょっとわがままで、浅はかなところもある。そして感情の起伏も激しい。でもその振る舞いや率直さがとても可愛らしい。彼女の感情の変化がアクセントとなって、音楽とともに、劇の動きにリズムを作りだしていた。
ありふれた出産ストーリーに奥行きを与えていたのは、胎内にいる男女の双子の赤ん坊を輪廻転生の「生まれ変わり」とし、この赤ん坊が自分たちの親の狼狽ぶりを批評しながら、彼らが生きた前の人生について語るという複線構造だ。モーツァルトの《キラキラ星変奏曲》の原題《ああ、母さん。あなたに申しましょう》はこの胎内の双子の存在とつながる。ちなみに先ほどgoogleで検索して、《ああ、母さん。あなたに申しましょう》という曲のタイトルは、« Ah ! vous dirais-je, Maman »というフランス語で、オリジナルの旋律は18世紀に流行ったフランス民謡であることを知った。この赤ん坊を柳生啓介と浜名美貴というベテラン俳優が演じるというパラドクサルな配役の仕掛けも面白い。
最後は出産場面で終わるのだけど、子供のいる人の多くは、自分の子供の誕生のとき、子供が小さかった頃を思い出して、思わず泣いてしまうのではないだろうか。私は泣いた。すごく通俗的なドラマなんだけれども。
終演後、河原崎國太郎と、前進座の次回作『残り者』のキャスト6人による挨拶があった。『残り者』は江戸幕府の崩壊にともない大奥を追い出される女たちの話とのこと。
前進座に限らず、どの演劇人も厳しい状況になる。そして苦しいのは演劇人だけではない。

しかし前進座の座員たちが見せた悲壮だが、毅然とした覚悟の美しさには心打たれた。そう、前進座が苦しいのは新型コロナウイルス感染拡大のだいぶ前からずっと続いているのだ。その状況下でも退廃と無気力に陥ることなく、見ていて背筋の伸びるような全力の芝居を作っていく前進座を、私はこれからも応援していきたい。