閑人手帖

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小倉博行さん追悼

25年ぐらい前の小倉さん。大学院の研究室で。

 『ラテン語のしくみ』(白水社、2014年)、『ギリシア語とラテン語を同時に学ぶ』(白水社、2015年)などの著者で、早稲田大学、獨協大学などでラテン語やフランス語の教鞭を執っておられた小倉博行さんが2022年8月30日に亡くなりました。55歳の若さでの逝去でした。9/4の朝に早稲田大学文学学術院の先生からのメールで、早稲田の学内ポータルサイトに小倉さんの訃報が載っていることを知りました。

 小倉さんとは私の大学院修士時代から30年以上の付き合いでした。年齢は私より一歳上ですが、私が浪人したり、留年したりしていたため、私が修士課程に進んだときは、小倉さんは博士後期課程の院生だったはずです。小倉さんはラテン語学・フランス語学が専門でしたが、指導教員は私と同じ中世ラテン・フランス文学が専門の鷲田哲夫先生でした。大学院修了後は、私も小倉さんも早稲田大学で非常勤講師として授業を持ち、教育学部の一年フランスのクラスでは10年以上にわたってペアで授業を担当していていました。

 ペアで同じクラスの授業をリレー形式で担当していたので週に一度は授業の進行状況を伝えるためメールで連絡を取っていたし、文学部・文化構想学部での授業日・時間は重なっていたので、戸山キャンパスの教員ロビーで授業の合間にいつも雑談していました。

 小倉さんはおだやかで優しい先輩でした。おしゃれでした。料理も上手でした。小倉さんのInstagramアカウントでは、小倉さんが作った料理の写真が日本語・英語・フランス語の三言語の解説付きで掲載されています。私は一度小倉さんの家に行き、小倉さんの手料理をごちそうになったことがありますが、見た目も味もプロ顔負けの素晴らしい料理でした。私のラテン語の先生でもあり、ラテン語を読んでいてわからないところがあれば、小倉さんに聞いていました。いつも丁寧な返事をくれました。学生への対応や授業でも、そういった温厚で親切な態度は変わらなかったようです。

 小倉さんの死は突然でした。8月24日に文学部・文化構想学部でラテン語・ギリシア語など古典語関係の科目をとりしきっている先生から「小倉さんが体調を崩して、今年度後期の授業をキャンセルすることになったと連絡があったのだけれど、なにか聞いている?」と問い合わせがありました。もしそうならば教育学部で小倉さんとペアで授業を行っている私にも連絡がありそうなものですが、何の連絡も受け取っていませんでした。8月の終わりの時点で後期授業を全部キャンセルするとなるとただごとではないなと思い、私は小倉さんに連絡を取ることにしました。いつもはFBのメッセンジャーで連絡を取り合っているのですが、夏休み中は小倉さんがFBのメッセンジャーをチェックしている気配はなかったので、メールを出しました。長期にわたる休暇ということで、私はもしかするとひどい鬱病なのかもしれない、そうであれば返事が来ないかもしれないな、と思っていました。

 翌8月25日の午前8時過ぎ、私のiPhoneが鳴りました。私は目覚ましにiPhoneを使っているのですが、この日は目覚ましを設定せず朝寝をするつもりでいました。しばらく呼び出し音を聞いた後、iPhoneを取ってみたら、目覚ましではなく、FBのメッセンジャーの音声通話の呼び出しでした。最初は眠たくて無造作に切ってしまったのですが、iPhoneの画面を見ると小倉さんからの通話であることがわかり、とび起きてかけ直しました。二回かけ直したところで小倉さんとつながりました。小倉さんは病院からの通話でした。その声からも衰弱していることは感じ取ることができました。7月の中旬、前期の授業が終わるころに急に身体の調子がおかしくなり、歩くこともままならぬようになった。何とか前期の成績付けを終えて、病院に行くとすぐに入院ということになり、8月のはじめから入院しているという話しでした。

 「何の病気で入院しているんですか?」と聞くと、「肝機能障害だよ」という返事でした。病気についてはそれ以上突っ込んで聞くのがはばかられました。起き上がることもできないし、話しをするのも一仕事という感じ。新型コロナ流行のため、家族のかたも面会が難しいという話しをしてくれました。小倉さんはもしかするともっと話したかったのかもしれないなという気もしました。しかし思っていた以上に重篤な状態に思え、長話しするのもつらいのではないかと思い、10分ほどで電話を切りました。

 小倉さんの訃報に接したとき、私はなぜか小倉さんと電話で話したのが一ヶ月以上前のように錯覚していました。ご逝去されたのが8/30ですので、私はその5日前に小倉さんと話しをしたことなります。亡くなる前に小倉さんと話しができてよかったと今は思っています。もしかすると小倉さんとしては弱り切った身体に残った力をふりしぼって、朝方、私に電話してくれたのかもしれません。小倉さんからの電話の最初のコールは寝ぼけていて取れなかったけれど、そのあと起きて、すぐにかけ直して本当によかったと思いました。

 小倉さんとは30年以上にわたって継続的な付き合いがありました。濃厚な付き合い方をしていたわけではありませんが、これほど長い期間、良好な関係を築くことのできた人は私にはごく数人しかいません。小倉さんは穏やかで親切なお兄さんでした。人付き合いについては内気で不器用なところがあり、そんなところにも私は好感を持っていました。早稲田大学戸山キャンパスの教員ロビーでは、この20年くらいは毎週小倉さんと顔を合わせ、雑談をしていました。ここ10年くらいは私が4限の授業で小倉さんが5限の授業だったので、私が授業を終えて教員ロビーに戻ると、小倉さんは教員ロビーのソファにいつもいて、私に気づくと手をあげて「お、片山君」と声をかけてくれたものです。

 小倉さんが亡くなってしまい、悲しいし、寂しいですが、それだけでは言い表せない複雑な思いが渦巻いています。激しい感情ではありませんが、ずーんと心が沈み込むような。今後も私は戸山キャンパスの教員ロビーに入るたびに小倉さんのことを思わずにはいられないでしょう。