閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

禁煙ファシズムと戦う

小谷野敦編著(ベスト新書、2005年)
禁煙ファシズムと戦う (ベスト新書)
評価:☆☆☆☆

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禁煙となし崩しに進む日本社会に意固地になって抵抗している感のある小谷野氏。敢えて禁煙条例の施行されている地域で吸うという挑発的行為を行い、行政訴訟も辞さない覚悟という「大人らしくない」ふるまいが可笑しい。
嫌煙論者の主張は、この本の著者である小谷野、斎藤、栗原の三者によって概ね論破されているように思う。健康との関連でたばこを糾弾する嫌煙論には僕もうさんくさいものを感じていたのだ。「生活習慣病」という今では定着した名称、生活習慣さえ正しければ病気にならないというような考え方は、「健康」ブームの中で無批判に受容されているようだが、ちょっと考えればヘンな話である。病気や寿命は際めて不公平・不合理なものであることは明らかなのだけど、できるかぎり合理的に解釈したいという人間のいじましさは理解できないでもないけれど。ただ僕自身30代で心筋梗塞になってからはとりわけ、半可通の健康知識で、安易に生活習慣を主病因とするような物言いは本当に不愉快だった。

さて僕は2003年11月1日に断煙した。吸い始めたのは大学入学後で、16年間の間、一日に二箱吸っていた。断煙のきっかけは心筋梗塞での入院である。担当医が非常にたばこに厳しい人で診察のたびにたばこをやめるようにかなり強く言われた。診察のたびにたばこについて聞かれるのがストレスになったのが断煙の一番のきっかけ。心筋梗塞は致死率の高い病気であり、発作の再発に大きな恐怖を感じていたのも要因の一つ。担当医に「たばこを吸い続けている限り、君の状態はずっと黄信号だ」と脅されたのである。死の恐怖があってようやくやめることができたのだ。断煙はそれまで、十二指腸潰瘍にかかったとき、子供の誕生時など何回か試みたことがあったが、いずれも三日坊主だった。
断煙は簡単ではなかった。約一ヶ月にわたってほぼ二日おきに断煙と喫煙を繰り返した挙げ句ようやくやめられたのだ。二日我慢して、絶えきれなくなって一箱たばこを買って、3,4本吸って、そこで自己の意志の弱さに腹立ちを感じて残りを捨てて、また二日後に我慢できなくなって、ということを繰り返したのだ。しかも入院中にこういうことをやっていたのである。
ニコチンが原因の禁断症状は三日ほどで治まった。しかし十五年間ほぼ毎日四十本のたばこを吸い続けることで体に刻み込まれた習慣から離脱する飢餓感を感じなくなるのには二、三ヶ月必要だった。食事の後、研究の最中など欲求を抑えるのに苦労した。たばこをやめることで、体調もおかしくなった。体調がおかしくなったことと断煙の因果関係があるのかどうかは断言できないが、断煙と時期を同じくして、強烈な便秘および断続的におそってくる眠気に悩まされる。こうした身体症状の不調も二,三ヶ月続いた。食べる量は断煙の前後で変わっていないと思うのだが、体重は多くの断煙者同様増加。十キロ太る。
折しも「健康増進法」という奇妙な法が施行されたりして、禁煙ムーブメントが一気に拡大する時期だったので、ちょうどよい時期に断煙できたのかもしれない。断煙することで娘と過ごす時間が増えた、妻とたばこが原因の諍いがなくなったという家庭内のメリットもあった。ただし集中力の低下や以前より怒りっぽくなったのはもしかすると断煙のデメリットかもしれない。
断煙してそろそろ二年になるが、実はいまだに時折猛烈に吸いたくなることがある。ただ小谷野氏編のこの著作では心臓疾患と喫煙との相関は弱いという話だが、心筋梗塞再発リスクや家族内平安、そして喫煙者という社会的弱者となって「迫害」されたくない、というしみったれた欲求ゆえに、再喫煙には踏み切ることはできない。僕の場合、一本吸ってしまうとそれがトリガーとなってずるずると恒常的喫煙者に逆戻りしてしまうだろう。酒が飲めないだけに、喫煙ぐらいはやりたいよなぁという思いは実は強烈にあるのだけど。
僕は心不全で突然死する可能性が高いが、できれば死期のわかる病でゆっくりと死んでいきたい。自分の死期を悟ったとき、何十年ぶりかでまた僕は喫煙者に戻る。そして紫煙をゆっくりと味わいながら、これまでの人生に思いをはせるのである。