http://tif.anj.or.jp/program/druid.html
ドルイド・シアター・カンパニー Druid Theatre Company
- 作:ジョン・ミリトン・シング John Millington Synge
- 演出:ギャリー・ハインズ Garry Hynes
- 美術:フランシス・オコナー Francis O'Connor
- ムーブメント:ディビッド・ボルジャー David Bolger
- 照明:ディヴィー・カニングハム Davy Cunningham
- 衣裳:キャシー・ストラカン Kathy Strachan
- 音響:ジョン・レナード John Leonard
- 作曲:サム・ジャクソン Sam Jackson
- 舞台監督:小林裕二
- 翻訳:目黒条
- 出演:Aaron Monaghan, Eamon Morrissey, Cathy Belton, Derry Power, Marie Mullen
- 上演時間:2時間15分(休憩15分含む)
- 劇場:新宿 パークタワーホール
- 評価:☆☆☆☆
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19世紀末から20世紀初頭にかけてのアイルランド文芸復興運動の中心的作家,シングの代表作の上演.シングは三十八歳で死んだ(1871-1909).劇作は生涯最後の六年に残された六作のみである.彼の六編の戯曲のうち,最も名高いのが今回上演される『西の国のプレイボーイ』である.上演団体はアイルランド西部の都市,ゴールウェイを拠点に1975年以降活動を続けるドルイド・シアター・カンパニーで今回が初来日となる.
珍しく引き幕である.しかも中央から両側に分かれる黒幕.舞台はアイルランド西部の海辺の村のぼろい居酒屋.幕が開くと,汚れてところどころはがれた漆喰の壁,天上からつるされるランプ,土の床の殺風景なパブの店内が現れる.
田舎町のパブを舞台とするシニカルな喜劇.冴えない「父親殺し」の若者が,その悪事の風評ゆえに,弛緩して退屈な田舎町の人々の好奇心を刺激し,だんだんと英雄に祭り上げられていく話.凝った演劇的仕掛けがあるわけではないし,初演当時は観客が暴動を起こしたという黒い笑いも定型的で現代的感覚では穏当に感じられる.おそらく当時のアイルランド社会の状況などがわかれば作品にこめられた風刺的メッセージが見えてくるのだろう.
この舞台と戯曲の魅力はなんとも捉えがたい曖昧なものである.観客席から笑い声がしばしばあがっていたが,作品のギャグにはそれほど鮮烈なものはない.作品の喜劇的雰囲気は,舞台上の役者たちがかもしだす空気によってもたらされていたように思った.いかにもアイルランドの田舎っぽい,無骨で粗野な雰囲気である.その空気の素朴な味わいの暖かみに引き込まれるといった感じの芝居だった.軽やかさを感じ,よく練られた感じのある字幕の文体は,この芝居の雰囲気をうまく引き出していたように思う(先日観たチュニジアのファミリア・プロダクションの芝居の字幕が今日の字幕レベルであったら,あの芝居の印象ももっと変わっただろうに!).
あの空気はアイルランドの劇団ならではであるように思った.昨秋,演劇集団円で観たマーティン・マクドナーの作品を,ドルイド・シアター・カンパニーで一度観てみたいものだ.アイルランド西部の田舎の雰囲気が濃厚に立ち上る舞台となるはずである.
余談となるがこの団体の芝居を僕はおそらく1991年6月にゴールウェイで観ている.1990年10月から翌年5月までパリで語学留学した後,僕は約一ヶ月間アイルランドに滞在した.そのうち三週間をゴールウェイとその近辺で過ごしているのだ.ゴールウェイから船が出ているアラン島にはそのときなぜか行かなかった.一人旅でぶらぶらしていて行こうと思えば行けたのに.今考えると本当にもったいない.現地で何をしていたかというと,一〇日ぐらい,ゴールウェイ郊外にある元貴族の館というB&Bに滞在してアイルランド音楽の講習を受けたり,その時の講師の音楽家に連れられて近隣のアイルランド西部の町を訪ねたり,あるいはゴールウェイ市内でスケッチをしたり,音楽パブで時間をつぶして,ひたすらぼーっと過ごしていたのだ.ゴールウェイはこじんまりとした古都で,特に観光資源が豊かというわけでもないのだが,なんか居心地のよい場所だった.イギリス名物のフィシュ&チップス屋がここにもあって,ただしゴールウェイのフィシュ&チップスは鱈とかカレイとか魚の種類を指定してから揚げてくれたので,ロンドンあたりの油が回ってくたくたになったフィッシュ&チップスよりよっぽどおいしかったことをよく覚えている.ゴールウェイでお土産として買ったセーターは,編み込みがしっかりとしていてどっしりと重みがある逸品でいまだに現役だ.
灰色と緑色の広大な光景のなかぼーっと過ごしたあのアイルランド滞在はいまだ記憶が鮮明な印象深い旅行だ.僕がこれまでした旅行の中で最も旅らしい旅かもしれない.今後アイルランドに再び行くことがあるだろうか? あったとしてもあのような無駄でゆったりとした時間の楽しみ方はまずできないように思う.あの無為で気ままな三週間に,僕は希有な至福の怠惰を味わったのだ.
このゴールウェイ滞在中に僕は少なくとも二本の芝居を市内の劇場で観ている.そのうち一本はジョン・オズボーンの『怒りをこめて振り返れ』であり,もう一本は前衛風のコントだったが作者・作品名は覚えていない.ヨーロッパ辺境の地方都市の劇場ということで全く期待せず観た芝居だったのだが,思いの外,腰の据わった見応えのある舞台で驚いた.その後,ダブリンの二つの劇場でブライアン・フリールの芝居を観て,アイルランド演劇のレベルの高さを思い知ることになる.ある面,イギリス以上の階級社会だというアイルランドには,芸術的舞台を受容する知的上流階級の層が存在するようだ.