ルパージュを彼の個人史の想起に導くきっかけになったのは、1970年の『詩の夜』で発表されたミッシェル・ラロンドの詩、« Speak White »をルパージュが暗唱して朗読しなくてはならなくなったことだラロンドの« Speak White »は、イギリス系住民の支配のもとで抑圧され、民族としての尊厳を奪われていたフランス系カナダ人であるケベック人の民族意識に強烈に訴える内容の詩だった。« Speak White »は、ケベック人としてのアイデンティティを覚醒、鼓舞させる歴史的事件となった。ケベック人でこの詩を知らない者はいない。ケベックに関心を持つ者でこの詩を知らない者はいない。
1980年代以降に行われた二度の住民投票を経て(どちらも僅差でケベック独立が否決された)、現在のケベックは連邦制離脱の熱気はかなり弱まっている。80年代以降は、それまでの仏語系、英語系住民に加え、世界の様々な国と地域から大量の移民がケベック(とりわけモントリオール)に定着し、ケベック社会はかつてよりはるかに多様な多民族・多文化社会になっている。 そうした時代にルパージュは再びラロンドの民族主義な詩、« Speak white »を詩の夕べで読むことになった(1989年にイタリア系移民作家のマルコ・ミコーネが、フランス系住民の横暴を告発する« Speak white »のパロディである詩« Speak what »を発表し、物議をかもしている、そういう時代・社会の今である)。ルパージュは今だからこそ、ケベックのナショナリズムを冷静に評価し、« Speak white »の詩を通して、かつての自分たちの姿をケベック現代史のなかで客観的に見直し、芸術作品として加工し、発表することができたのだ。 ルパージュの作品というと、スペクタクルとしての技巧の素晴らしさには感嘆するけれど、その驚異は脚本の薄さゆえに空虚に感じられることが多かった。今作ではスペクタクルの仕掛が、脚本とうまく連動し、その表現に説得力を感じた。ただケベック現代史のとらえ方は教科書的過ぎるように感じられラディカルな問いかけはなかったし、歴史と個人史の絡ませ方も巧いけれど定型的だとも言える。そうした物足りなさはあるにせよ、この作品が傑作であり、私が最も好きなルパージュ作品であることは間違いない。授業でも紹介したいし、ケベック学会のメンバーにはできれば全員に見て貰い、感想を聞いてみたい作品だ。
『エダニク』とは枝肉のことだ。「家畜を屠殺後、放血して皮をはぎ、頭部・内臓と四肢の先端を取り除いた骨付きの肉。普通、脊柱に添って左右に二分したものをいう」(三省堂『大辞林』)。劇作家の横山拓也の作品で最初に見たのがこの作品だった。私はこの後、数本の彼の書いた戯曲の公演を見ていて、いずれもとても面白いのだけれど、私はこの『エダニク』が一番優れた作品だと思う。『エダニク』は食肉解体工場を舞台とした3人の男性が登場人物の作品だ。今回は私が見た三回目の『エダニク』だったが、台詞劇の醍醐味を堪能できる会心の出来だった。三人のキャストのうち、大阪弁のベテラン職人を演じた緒方晋(The Stone Age)以外の二人は、新しいキャストになっていたが、役柄と俳優の雰囲気は台本に変更が加えられていないにも関わらずしっくりはまっていた。