閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

[[子午線の祀り]]

1999年の新国立劇場公演以来,五年ぶりの公演.全体では第七次の公演.前回の新国立劇場公演の印象および先日戯曲を読んだあとの印象と比べると,世田谷パブリックの抽象的な舞台はスケール感に乏しい感じがした.ステージの横幅も奥行きもせせこましい.前回の公演では群読のシーンなどは,ステージの幅を目一杯使っていたような記憶があるのだが.第一次公演の宇野重吉演出の完成度が高かったため,それ以来細部やキャストの変更はあるにせよ同じイメージに基づいて演出されているとのことだが,今回の公演では(僕自身は二回目の観劇体験にすぎないにもかかわらず)冗長,退屈を感じることが多かった.特に第一幕は舞台上の動きが乏しく,簡素な抽象的舞台では観るほうの緊張感が持続しない.野村萬斎のしびれるような名演,すさまじい名調子にも関わらず,睡魔に襲われる.戯曲の完成度は高く,この作品が圧倒的に「ことばの演劇」であることを再確認する.萬斎と嵐の古典芸能特有のリズムと様式感が豊かな朗誦法はテクストの美しさを実に効果的に引き立てていた.にも関わらず,特に萬斎のシーンには睡魔に襲われてしまうのである.次回公演では,「伝統」に捕らわれず,もっとダイナミックで大胆な演出でこの舞台を見たい.観世栄夫はこの公演からはもう手を引くべき.演出面でも,役者としての振る舞いも,残念ながら老醜をさらすという結果になってしまった.
役者で印象に残ったのは,前回公演でもでていた伊勢三郎役の佐藤輝.この役柄のコミカルな味わいはもっといかせるはずだ.義経役の嵐もメリハリのある朗誦ときびきびとした動きで印象深い.萬斎に圧倒されない存在感を示していた.知盛萬斎とのコントラストがうまく演出でいかされていなかったのが残念.
萬斎の演技には圧倒された.萬斎が演じた知盛は劇の主人公ではあるが,まさに萬斎の存在感は他の出演者を凌駕したものだった.象徴的・内面的役柄である影身の内侍役の高橋恵子があまり生きていなかったのも残念.
総合的には満足感の得られる舞台ではあったが,不満が残る.次回公演の際は,もっと大きな劇場でかつ大胆で新しい発想の演出でこの作品を見てみたい.