- 奏者:長谷川郁夫(ギター)、国枝俊太郎(トラベルソ、リコーダー)
- 場所:要町 GGサロン
- プログラム:
- 評価:☆☆☆★
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前半は19世紀前半製作のギターとフルート使い当時の曲を演奏する試み。後半は19世紀後半に作られたリュートギターとリコーダーの組み合わせによる自由な編曲作品のプログラム。
19世紀ギターの音色を生で聴くのははじめての体験。音の伸びと豊かさが現代ギターに比べると乏しく感じられるが、小型で細身の見かけは美しい。あっさりした響きと音量の小ささは当時のサロンの雰囲気を想起させる。
古典派のギター作曲家のエチュードは現代のギター教則本の中でも依然使われていて、ギター弾きにはなじみのもの。エチュードが多いということもあるが、平明で単調に感じられる曲も多い。しかしギターという楽器の特性を踏まえて作曲された彼らの作品の響きは自然で美しく、演奏する喜びを与えてくれる魅力に満ちている。何人かのギター作曲家のうち、ジュリアーニの作品には名曲が多いように僕は思う。ギター楽器の特性を最大限に生かしたスケール感のあるソナタはダイナミックであり、「ギターは小さなオーケストラ」という文句を連想させるような魅力を持っている。
今日は会場も小さく観客も20人ほどの規模のコンサートだっため、オリジナル楽器による当時の作品の演奏はなおさら当時のサロンの雰囲気などを想起させるものだった。こうしたささやかながら日常的な音楽の喜びを知らしめるコンサートは、交響曲やオペラ中心の大作曲家の大きな音楽史の世界を相対化させる視点を提示してくれるように思う。ギターとトラベルソという周縁に位置する楽器の音楽だからこそ知覚できる世界がある。こうした周縁の楽器をキーワードとする社会史・文化史の構築を、コンサートを聴きながら夢想した。
ジュリアーニのフルートとギターのためのソナタは以前から聴きたかった作品。思ったより大曲で、特にフルートの側に高い技量を要求する曲だった。メロディーラインは軽やかで美しくモーツアルトを連想させる。やはりいい作曲家はつまらない作品を作らない。ジュリアーニの数ある作品の中でも名曲だと思った。
後半の自由な編曲に基づくギターとリコーダーの二重奏も楽しめた。19世紀末にウィーンで作られたというリュート・ギターははじめて実物を見て音を聴く。調弦・音色はギターだが、胴がリュートのように半円を描いている。西欧の中だけでも、はつげん楽器のバリエーションはおそらくものすごい数あるに違いない。派手な編曲のサンスの《カナリオス》のリコーダー・パートが印象的だった。最後の《パッヘルベル》も美しい。
前後半バランスのとれたよいプログラムだったと思う。前半の構成と演奏には知的にも啓発される。
ギターはミスタッチが目立ったのが残念。笛の国枝氏、改めて「うまいなぁ」とうなってしまった。厳しい道のりの中、地道にだが着実に世界を広げていっている、音楽活動に対する姿勢はこちらも見習わなくてはなぁ。