フルートの肖像 vol.16
フルートとハープ ~600年の変遷~
2021年7月17日(土)会場 近江楽堂(東京オペラシティ 3F)
夜公演 開演18:30
出演:
ヒストリカル・フルート 前田りり子
ヒストリカル・ハープ 西山まりえ
中世フィドル 坂本卓也
ヴィオラ・ダ・ガンバ 福沢宏
《プログラム》
モンセラートの朱い本より 《マリアム・マーテル》
ヒルデガルト・フォン・ビンゲン 《おお、知性の力よ》
G.deマショー 《恋人よ、目をむけないで》 他
タイトルの通り、中世からモーツァルトまで600年に至るフルートとハープの音楽の歴史を、12本のフルートと4台のハープ(プラス中世フィドルとヴィオラ・ダ・ガンバ)でたどるというコンサート。昼夜2公演で、新型コロナ感染予防で客席数は減らしているとはいえ、夜の部で60名近い聴衆はいたと思う。使用する楽器の説明や演奏解釈についての話が間に入り、間に2回の休憩が入る2時間15分のコンサートだった。
中世から順に時代を下っていくプログラムでアンコールを含め15曲が演奏された。ルネサンス期は管楽器が器楽アンサンブルの中心でフルートはなかでも大きな存在を持っていた、17世紀にヴァイオリンの台頭によりフルートの総体的地位は低下するが、17世紀後半、ルイ14世時代に活躍したオトテール一族による楽器の改良とレパートリーの拡張によって、宮廷でのフルート音楽が復興したといった話があった。
中世から18世紀に至るフルート&ハープの楽曲を並べることで、音楽史を提示するというプログラムのねらいはとても興味深い。ただ時代順に聞くと、フルート&ハープ音楽の時代による厚みの違いも浮かび上がってくる。中世篇は、音としては素朴な美しさがあるけれど、フルート+中世ハープ+フィドルというミニマルな器楽の組み合わせだけでは、単調で、他の時代と比べると音楽的に貧しい。中世音楽は歌が中心であり、今回演奏されたレパートリーも当時楽器だけで演奏していた可能性はまったくないわけではないが、《サルタレッロ+トロット》を除き、本来は声のための作品だろう。歴史的考証の点からすると、かなり無理矢理フルート&ハープ音楽の枠組みのなかに押し込んだような印象を持った。もちろん器楽のみによる演奏が非=歴史的な解釈によるものであったとしても、こうした演奏になんらかの美学的価値があると主張できるのであれば問題ない。
ただ歴史性を考慮したプログラムであるのであれば、歴史的考証を踏まえつつ、敢えてそれを逸脱していることの意味づけが欲しいように思う。中世はわからないことが多いから、なんとなく自由に想像力を広げてこんな感じでやっています、というのはけっこういろいろなところで蔓延しているように思う。
音楽的な喜びと充実感からいうと、中世>ルネサンス期>>バロックと時代が下るにつれ強度が増していった。楽器や演奏解釈についての歴史的正当性も当然時代が下るにつれ確固たるものになっていく。
音楽的な喜びと充実感からいうと、中世>ルネサンス期>>バロックと時代が下るにつれ強度が増していった。楽器や演奏解釈についての歴史的正当性も当然時代が下るにつれ確固たるものになっていく。
時代の異なるさまざまな種類の横笛の音と音楽の違いを楽しむことができたのはよかった。
実は今回このコンサートを聴きに行ったのは、前田りり子さんの音楽に以前から関心を持っていたからだけでなく、この歴史を軸としたプログラムが、自分が企画し、12月に行う予定の中世のハープを中心としたコンサートのヒントにならないかと考えたからだ。自分がもしプログラムを組むとしたらということを想定しながら聞き、いろいろ示唆されることはあった。
自分なら、まず学術的考証性はできるかぎり綿密に検討する。それを踏まえたうえで、敢えてどのような非歴史的アプローチが可能なのか演奏家と考える。楽器の持つ文学的・絵画的な象徴性はプログラムに生かしたい。プログラムと演奏をきっかけに、聴衆が中世の宮廷の音楽を中心とした文化生活を思い描くことができるような仕掛けを考えたい。
過去であり、異世界である中世の宮廷文化に、観客を引き込むようなキューとしてどのようなテクストとイメージが有効であるか、考えていこうと思う。
過去であり、異世界である中世の宮廷文化に、観客を引き込むようなキューとしてどのようなテクストとイメージが有効であるか、考えていこうと思う。