閑人手帖

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ふるさとは貧民窟(スラム)なりき

小板橋二郎(ちくま文庫、2004年)
ふるさとは貧民窟(スラム)なりき (ちくま文庫)
評価:☆☆☆☆

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フリー・ジャーナリストである著者が、子供時代に過ごした板橋のスラムでの生活情景を郷愁をこめて記した作品。板橋区にかつてあったスラムについては、紀田順一郎『東京の下層社会:明治から終戦まで』(ちくま書房、2000年)
東京の下層社会 (ちくま学芸文庫)
で言及されていて、上流階級家庭からのもらい子を養子にして次から次へと殺していた事件のこととともにかなり扇情的に板橋スラムについて書かれていた。『ふるさとは貧民窟なりき』は、スラム出身の著者による、こうした定型的スラム観への反論である。たとえ外部からは貧困と暴力、無知、無道徳が支配する無法暗黒社会に見えても、実際のスラムは人間一般としての習慣的道徳ある世界であり、自由でエキサイティングで人情味あふれる社会の営みがなされていた。外部のインテリたちのスラム観は、スラムで実際に成長した著者から見ると、偏見や誤謬に満ちた差別的なものである。しかし著者が皮肉をこめて書くように、こういう良心派のインテリと目される人びとほど「スラムに旺盛な好奇心や同情心を持とうとするのも一般的傾向」なのだ。かく言うぼくもこうした輩の一人であり、パリの貧民街、郊外の荒廃に向けられた僕の好奇心や感想は、まさに小板橋氏が皮肉るような心性に基づくものであることは否定できない。著者によるとスラムは病院のようなものであるとのこと。スラム自体の寿命は人間の一生ほど長続きしないことが多く、そこを人生の要覧の場にするか、途中下車駅にするか、それとも終着駅にするかという違いがあるにすぎない。スラムで生まれスラムで死ぬ人間は少数派である。
さてこうした視点で書かれたこの著作の中の筆者の思い出は、当然スラムの貧しき人びとへの愛情と自分の幼少期への郷愁に満ちたものだが、そのエピソード自体はやはりかなり強烈である。もっとも高度成長前の日本で過ごした人間の大半は、ここで筆者が書いていたのとさして変わりない社会で生きていたのかもしれないけれど。僕自身幼いころは風呂付きとはいえ2DK+納戸の狭苦しいアパートに五人家族で住んでいたいのだ。父方の祖父は田舎で定職を持たずに一生を終えたのだから、父の一家の貧しさはそれ以上だったろうし、夏のシーズンに鮎釣り三昧の人生を楽しむためにやはり定職を持たなかった母方の祖父の家の貧しさも同様だっただろう。