燐光群
http://www.alles.or.jp/~rinkogun/houratsunohito.html
- 原作○沢野ひとし
- 作・演出○坂手洋二
- 美術・衣裳○伊藤雅子
- 照明○竹林功(龍前正夫舞台照明研究所)
- 音響○じょん万次郎・内海常葉
- 出演○中山マリ、鴨川てんし、川中健次郎、猪熊恒和、大西孝洋、江口敦子、安仁屋美峰
- 劇場○新宿 SPACE雑遊
- 上演時間○2時間40分
- 評価:☆☆☆★
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燐光群の新作は、シンプルな描線で描かれた脱力系の味わいのあるヘタウマ系イラストで知られる沢野ひとしの伝記。沢野の自伝的テクストおよびイラストレーションを自由に再構成し、15のエピソードによって演劇的に提示した作品だった。ベースになっているのが『放埒の人』(角川文庫版では『花嫁の指輪』に改題)である。沢野の文章はこれまでまとまった形で読んだことはないのだが、今回の舞台を見た印象では、自律に乏しく、女にだらしなく、酒場と山を愛し、家族とは適正な距離感をとりかねている人物のようである。
15のエピソードはほぼ時系列にならんでいて、僕[=沢野]の少年時代から還暦を超え老年に入った現在の彼までを描く。タイトルに含まれる「放埒」がぴったりとはまる自由で無責任な生き様は人間のある種の理想的生活だろう。青年期以降、とにかく舞台上の「僕」は女に持てる。浮世離れしていてふらふらと頼りないところが、女心に訴えるらしいのだ。結婚して子供を二人作るが、家庭では「父親」らしい役割を演じる気はさらさらない。自由気ままに妻以外の女性の恋愛を繰り返し、ふらっと長期間の旅に出る。どこか家庭を恐怖しているような感じがあるのだ。
中年期以降の放埒ぶりは、見ていて羨望と反発が相半ばするという感じである。愛嬌のある人物で周囲の人物を退屈させることはないだろうが、他人を傷つけ踏み台にすることにもこの種の人間は鈍感であるように思えるからだ。
少年期から青年期あたりまでは楽しんでみることができた。特に青年期の同棲相手、安仁屋美峰演じるエキセントリックな音大生の自己中心的な言動に振り回されるエピソードであるとか、結婚直後、通っていた劇場で知り合った若くて奔放な劇団員女性に翻弄されるエピソードもおかしい。カントリー音楽にはまり、学生時代に沖縄に長期滞在するエピソードは当時の青春の一つの理想的な型を示しているように思える。
主人公の「僕」は年代に合わせて複数の役者が演じる。また彼をとりまく膨大な人物は、各役者が何役か掛け持ちで演じる。この演劇的仕掛けゆえに、自伝は聖書の「放蕩息子」のエピソードさながらの寓意的な色彩を帯びる。各エピソードは10分から15分ほどだがいずれも濃厚な味わいだったが、中盤はリズムの単調さもあり、若干見るのに疲れを感じた。
主人公の無責任享楽主義的人生観に共感できるかどうかが、この作品を楽しめるか否かのポイントだと思う。