日本の有名一族―近代エスタブリッシュメントの系図集 (幻冬舎新書)
- 作者: 小谷野敦
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2007/09
- メディア: 新書
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評価:☆☆☆★
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歌舞伎など伝統芸能の世界や政界での世襲がしばしば問題化されることがあるけれど、その生育環境に存在する文化的資本の量と質を考えると、「カエルの子はカエル」、芸能人の親を持つ子が芸能人になり、政治家が親である者が政治家を継ぎ、職人の子供が職人になる、というのはある意味でものすごく自然のことのように思える。もちろん近代以降、特に戦後の日本では学歴という公平なシステムを介して社会階層の階段を駆け上ることが可能になったゆえに現在の豊かさを享受できた面があるだろうし、ある程度の社会階層の流動性がないと社会全体が停滞して活力を失ってしまうような気もする。
学者の世界も親子継承という要素がかなり強力であり、就職においても親が大学の先生だと圧倒的に有利なように思える。もっとも親が学会内で嫌われ者だったりすると、同じ道を選んだ子供がとばっちりを受けることもあるだろうが。
実際、人文系の大学院の博士課程院生となると親が大学の先生、しかも同じ分野というのは珍しくないように思う。親が有名な教授で、その子供がすんなりアカデミズム業界に就職が決まったりすると、激しい嫉妬の感情がわきあがりがちであるが、やはりそういった環境で生まれ育ったというのは能力の面でもかなり有利に働くことが多いように思う。全くの雑草育ちでものすごく優秀というのもごく稀にはいないわけではないけれど、誰が見ても優秀といった人材はやっぱり親もちゃんとした研究者であったりする。雑草としては、親と同じアカデミズム業界に就職するにせよ、せめて違う分野を選べよ、とぼやきたくもなるのだけれども。
人文系となると研究者になるような人には貧乏人はほとんどいなくて、多かれ少なかれいいとこの坊ちゃん、お嬢さんである場合が多い。貧困階層といっても親が教師(中学や高校の)というパターンが目につく。僕の指導教授はとある文豪の孫だった。やっぱりなぁ、と思い、それを知ったときはかなり落ち込んだものだ。がつがつあくせくと「成り上がり」を目指す庶民階級の人間と比べ、いいとこの出の人はやはり人間的にゆったりとして余裕があるように感じられるのはこちらの僻目だろうか。