閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

軍人たち Die Soldaten
http://www.nntt.jac.go.jp/season/updata/20000015_opera.html

B.A. Zimmermann : Die Soldaten
B.A.ツィンマーマン/全4幕【ドイツ語上演/字幕付】
ヤーコプ・ミヒャエル・ラインホルト・レンツの同名の戯曲による4幕のオペラ
Music by Bernd Alois Zimmermann
Opera in 4 Acts the drama of Jakob Michael Reinhold Lenz
【指 揮】若杉 弘
【演 出】ウィリー・デッカー Willy Decker
【美術・衣裳】ヴォルフガング・グスマン Wolfgang Gussmann
【照 明】フリーデヴァルト・デーゲン Friedewalt Degen
【再演演出】マイシェ・フンメル Meisje Barbara Hummel
【指揮補】トーマス・ミヒャエル・グリボー
【共同衣裳デザイナー】フラウケ・シェルナウ
【衣裳・ヘアメイク監修】ロビー・ダイヴァマン
【音 響】渡邉 邦男
【舞台監督】大澤 裕

キャスト
【ヴェーゼナー】鹿野 由之
【マリー】ヴィクトリア・ルキアネッツ Victoria Loukianetz
【シャルロッテ】山下 牧子
【ヴェーゼナーの老母】寺谷 千枝子
【シュトルツィウス】クラウディオ・オテッリ Claudio Otelli
【シュトルツィウスの母】村松 桂子
【フォン・シュパンハイム伯爵 大佐】斉木 健詞
【デポルト】ピーター・ホーレ Peter Hoare
【ピルツェル 大尉】小山 陽二郎
【アイゼンハルト 従軍牧師】泉 良平
【オディー 大尉】小林 由樹
【マリ 大尉】黒田 博

【合唱指揮】三澤 洋史
【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

  • 劇場:初台 新国立劇場オペラ・パレス
  • 上演時間:2時間半(休憩25分)
  • 評価:☆☆☆☆☆
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まさにこういうオペラを見たかったのだ。僕個人がスペクタクルとしてのオペラに対して抱いてきた期待に十全に応える強烈に刺激的な舞台だった。新国立劇場公演のために構想された演出でないのがちょっと残念だが(ドイツのドレスデンザクセン州立歌劇場での制作に基づくものだとのこと)、日本のオペラハウスでこのように意欲的で実験的な作品が制作・上演されたことはとても喜ばしい出来事であるように思う。「世界に誇るオペラハウス」という新国立オペラ劇場に冠された惹句がこれまで手前味噌に思え、気恥ずかしいような気がしたのだけれど、『軍人たち』のようや意欲的なプログラムを継続的に上演することができれば、「看板に偽りなし」という感じになっていくだろう。

原作は18世紀後半、疾風怒濤時代のドイツの作家、レンツの戯曲である。レンツという作家の存在を知ったのは恥ずかしながらつい最近のことである。岩波文庫版のビュヒナーの作品集を読んだときに、作家レンツの生涯の一時期について描いた短編小説を読んで知ったのだ。オペラの作曲者であるツィンマーマンについてもほとんど知識をもっていなかったのだが、小説と文庫の解説文を読んで俄然、レンツの戯曲に基づくこのオペラ作品の上演を見たくなった。

ヴォイツェク ダントンの死 レンツ (岩波文庫)

ヴォイツェク ダントンの死 レンツ (岩波文庫)

作品の舞台は北フランスの都市、リールである。リールのブルジョワ家庭の娘、マリーには織物商人の婚約者シュトルツィウスがいる。平凡な結婚をするはずだったマリーノもとに男爵の称号を持つ軍人デポルトが現れる。女あしらいに長けたデポルトはたちまちマリーの心を奪い取る。マリーの父親も虚栄心からその交際を認める。シュトルツゥイウスは衝撃を受け、復讐を誓う。マリーはデポルト男爵に捨てられ、別の軍人の恋人になる。軍人の間でマリーはもてはやされるが、それは玩具のような愛され方であった。軍人たちの間でもてあそばれたマリーはぼろぼろに傷つき、最後には娼婦へと転落する。従僕として軍人につきそっていたシュトルツィウスはマリーをもてあそんだ軍人を毒殺する。そして自分も毒を仰いで死ぬ。娼婦のマリーは道端で父親に物乞いする。しかし父親は自分の娘の姿を認めることは出来なかった。行軍する軍人たちの足音が響き渡る。

オーケストラは100名を超える大規模編成で、ジャズのコンボもそれに加わる。バッハからジャズまで多様な音楽が引用され、室内楽的なアンサンブル、ギター独奏から大編成オケによる合奏、そして客席に設置された6台のスピーカーから流れ出る朗読やノイズまで、雑多な音楽的素材がコラージュされ、壮大な音のカオスが形成される。歌唱技術もきわめて高度なものが要求されているとのことだ。
ツィンマーマンはオペラの設定時代を「昨日、今日、明日」であると設定しているが、18世紀後半の風俗劇であったレンツの原作はツィンマーマンが融合させた混沌とした音風景によって、一気に抽象度を高め、普遍的な表現を獲得したように僕には思えた。

演出は幕開けから衝撃的だった。ストーリーの梗概からは予測不可能な斬新なアイディアの演出、美術だった。あの演出の発想は、ツィンマーマンが音楽によって与えたコンテクストからしか出てこないように思う。ドラマは奥行き4,5メートル、高さ2,3メートルほどの細長い立方体の黒い箱の中で進行する。箱には筆での殴り書きのような感じで、白い弧がいくつも描かれている。ススキ原を乱暴に描いたような感じの模様である。場面によっては背の部分の壁が後ろに倒れて、舞台の奥と手前の二箇所で演技が行われることもあったが、上方をふさがれているため4階席からだと一部死角ができて見えない部分もあった。
おどろおどろしい金管楽器の音の重なりではじまる前奏曲が始まると幕が上がる。白塗り、白装束の多数の人間が、直方体の箱の中に押し込められている。非=個性的な人間のむれが箱の中をうごめく。前奏曲が終わる部分で、一人の人物を残して、他の白塗り人間はその人物を避けるかのように箱の片側に寄り集まる。一人の人物には灰青の地味な衣装が着せられる。その人物がにやりと笑ったところで黒幕が下り、前奏曲が終わる。
各場の境目では、するすると上から黒幕が下りてきて舞台を隠す。黒幕は舞台上での台詞や歌が完全に終わらないうちに降りてくるので、各場は乱暴に強引に打ち切られたかのような印象を観客に残す。
軍人たちの朱色のコスチュームの鮮やかさ、伯爵夫人の目の覚めるような黄色の衣装、そしてブルジョワの娘のくすんだ灰青の衣服など、黒い背景を効果的につかった配色効果も印象に残る。そして最終場での大仕掛け。暗喩に富んだ舞台表現がもたらす視覚効果のアイディアは多くの驚きに満ちている。軍靴の響きに劇場が包まれる最後の場面は圧倒的な感動を呼び起こす。

先鋭的でとにかくかっこいいスペクタクルだった。文学的表現が音楽表現と舞台表現と、深いレベルで有機的に結びつくことに成功した傑作。