閑人手帖

このブログは私が見に行った演劇作品、映画等の覚書です。 評価、満足度を☆の数で示しています。☆☆☆☆☆が満点です。★は☆の二分の一です。

孤独から一番遠い場所

演劇集団 円
http://www.en21.co.jp/kodokukaraichibantooibasho.html

  • 作:鄭義信
  • 演出:森新太郎
  • 美術:磯沼陽子
  • 照明:中川隆一
  • 衣装:緒方規矩子
  • 出演:朴王路美、中條佐栄子、石原由宇、渡辺穣、山崎健二、大窪晶、石田登星、吉澤宙彦
  • 劇場:田原町 ステージ円
  • 上演時間:2時間半(休憩10分)
  • 評価:☆☆☆★
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鄭義信の新作。二つの時間と物語が平行して演じられる。
舞台前方は1980年代、日本が好景気で沸いていた時代のとある会社の事務室。大雨に降られれ帰宅がままならず、会社に戻ってきた二人のいかにもしがない風情のサラリーマンが登場人物である。会社に戻ってはみたものの、会社も雨漏りで床は水浸しになっている。蒸し暑い社内で二人の社員はとりとめのない会話を交わしながら夜明かしすることになる。
舞台奥は終戦直前の九州のとある漁村の浜辺である。浜辺の水溜りが舞台前方の会社の水浸しの床とつながっている。浜辺は砂でゆるやかに隆起しているが、その砂浜は黒色である。舞台背景も黒一色。この村に住む姉妹が妹が舞台奥で主に展開する物語の中心である。彼女の姉は盲目である。彼女の夫は戦争で足を怪我し、それによって戦役を離れたが、びっこをひくようになった。身体障害者となった彼の心はひねくれ、妻にねちねちと依存している。弟はまだ幼い。身体障害者と未成年の親族に、精神的にも身体的にも拘束されたこの女性は生活に絶望している。そこに炭鉱を抜け出してきた、流れ者の朝鮮人の兄弟がやってくる。弟は知的障害があるようで、異母兄弟である兄に依存して生きている。自身の境遇への怒りに満ちた兄にはアウトローの人間特有のたくましいエネルギーが感じられる。女は自分と同類のこの兄に惹かれる。彼女の閉塞的状況を打開するかすかな可能性をこの兄の中にみる。兄もまたこの女に惹かれる。
終戦直前の北九州の漁村での濃密な愛憎のドラマの進行を分断するかのように、前景では80年代の会社員二人の日常的悲哀の軽妙で脱力感のあるやりとりが挿入される。二人の会社員のうち、年長の男の言動はいつもどこかずれていて、軽薄で、とらえどころがない。落ちのない、ふぬけたコントのような場面が続く。しかし徐々にこの50台の男が抱えている背景の重苦しさがわかってくる。前景の水浸しのオフィスの水溜りは、後景の終戦直前の北九州の浜辺の水辺とつながっている。背景の姉妹弟、そして夫婦の物語は、この50台のさえないサラリーマンの回想であることがわかってくる。

私の両親の世代は、貧困と死がいまよりはるかに日常的であった戦争の時代と高度成長期からバブルにかけての物質的繁栄という極端なコントラストをなす時代の両方を知っている。これはちょっと考えるとものすごいことだ。この二つの時代の狂気のなかで家族という絆が翻弄された人間が抱えうる深い虚無感が作品から浮かび上がってくる。作品のタイトルはきわめて逆説的だ。

作品の狙いはわかるし、森演出は展開のリズムがよくて、飽きさせない。しかし前景で演じたコント的な演技であえて強調された記号的表現が、物語の重さとかみ合っておらず、人物の葛藤が表層的でリアリティに乏しいように僕は思った。これまで見た森演出作品もどちらかというと役者の持っている個性というか芸を利用したものだったけれども、今回の作品ではその強調の仕方が作品を平板にしてしまっているように感じだ。水のなかをのた打ち回る激しい格闘場面もどこかお約束的であり、胸にせまってこない。